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秦の昭王は、キングダムでは【戦神】という扱いになっています。
兜を着用している凛々しい姿で描かれるのですが、秦の昭王の史実を見る限り、【戦神】と呼ぶには無理があると思いました。
そもそも、昭王の実績を見ても、自ら軍隊を指揮したとか、戦場に出た記録がありません。
昭王の時代に秦は大きく領土を広げた事は間違いありません。
1回も戦場に行った事がない人が【戦神】というのは無理があるかと思います。
さらに、昭王の行動を見る限りでは、【戦神】としてあるまじき行為が目立ちますw
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目次
楚の懐王を武関で捕らえる
秦の昭王は、楚の懐王に武関で会盟をしようと持ち掛けます。
秦と楚で友好を結ぼうと持ち掛けるわけです。
楚の懐王は、その言葉を信じて、秦の武関に入りました。
しかし、懐王が武関に入った途端に門は閉められてしまい、懐王は捕らえられて、秦の咸陽(首都)に連行されてしまいます。
懐王に土地の割譲を求めるわけですが、懐王は納得しません。
懐王を楚に帰さずに幽閉すると、懐王は耐え切れなくなり逃亡します。
しかし、昭王はしつように懐王を追いかけさせて、懐王を捕まえて咸陽に連れ戻しました。
懐王は怒りと屈辱から発病して、そのまま病死したわけです。
この事から、諸侯は秦をまともな国として見なくなったとされています。
友好を結ぼうと誘いを掛けておいて、捕らえてしまうと言うのは、軍神として、あるまじき行為ではないでしょうか?
さらに、秦は虎狼の国というイメージを定着させてしまった事件でもあります。
懐王を執拗に痛めつける辺りは、とても軍神の発想とは思えませんw
昭王に取ってみれば、あれは宣大后と魏冄が勝手にやった事というかも知れませんねw
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趙に詐欺をしようと考える
趙の国に和氏の璧と呼ばれる国宝級の宝がある事を昭王が知る事になります。
そこで、趙に15城と和氏の璧を交換しようと持ち掛けるわけです。
趙は藺相如を使者にする事で、趙は和氏の璧を秦に渡さない、秦も15城を渡さない事になりました。
しかし、昭王の当初のプランでは、趙から和氏の璧は譲り受ける。15城は渡さないという詐欺を考えていましたw
宝物欲しさに、姑息な発想を考え出し、実行しています。
この行為を見る限りでも、軍神と呼ぶには難しいと思います。
人間的な器の小ささを感じてしまうわけです。
藺相如に恥をかかされる
秦の昭王が趙の恵文王と黽池の会を開きました。
黽池の会で、事件は勃発します。
秦の昭王が趙王に依頼して琴を弾く事になりました。
趙王が琴を弾くと、記録係に秦王が趙王に琴を弾かすと記録するように命令します。
つまり、趙王に対して、嫌がらせをしているわけです。
しかし、藺相如が黙ってはいませんでした。
藺相如の迫力に押されて、余興をやる事になり、昭王は皿を叩くという屈辱的な事をやらされていますw
自分で嫌がらせをしておいて、逆に屈辱を受けるという戦神としてあるまじき行為をさらしているわけです。
この事から、秦王の嫌な性格をしていた事は間違いないでしょうw
関連記事:藺相如が恵文王を守り秦・昭王をやりこめる
孟嘗君を招いて殺そうとする
昭王は、斉の孟嘗君を宰相にしようと思い、秦に呼び寄せます。
語り合って気に入り、宰相にするわけですが、周りの人間にすぐに讒言をされて気が変わり、孟嘗君を殺そうとします。
自分から招いておいて、殺そうとするなどの行為も戦神としてあるまじき行為だと思いますw
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礼儀がないですよね。
しかし、孟嘗君は食客の活躍もあり秦から脱出してしまいました。
後悔しやすい性格
孟嘗君は斉に帰るわけですが、斉・魏・韓の連合軍を率いて秦に攻めてきました。
この戦いに、秦は破れて函谷関も落ちてしまいます。
秦としては、ピンチに陥ったわけです。
孟嘗君に危害を加えようとした事で、起きた結果なので自業自得ですがw
そこで、昭王は土地を割いて講和しようか悩みます。
その時に、公子他とのやり取りが残されています。
公子他「王は講和してもしなくても後悔する事になるでしょう」
昭王「それは、なぜか?」
公子他「講和して河東の地を割けば、斉・韓・魏が退却する所に土地を割いてしまったと後悔します」
公子他「土地を割かなければ、河東の地を惜しんだばかりに、都咸陽が危うくなってしまった。と後悔するでしょう」
結局、昭王は河東の地を割く事にしたのですが、この話は昭王の性格を非常によく表していると思います。
つまり、「後悔しやすい性格」なわけです。
物事を悪く考えてしまって、くよくよする事も多かったのかも知れませんw
傲慢になり嗜められる
昭王は、秦が強大になるに連れて傲慢になったようです。
昭王「今の魏の宰相・魏斉は、孟嘗君よりも賢いか?」
部下A「賢さではとても及びません」
昭王「賢人と呼ばれた孟嘗君がいても、儂をどうする事も出来なかった。今、賢人の孟嘗君もいない。魏・韓・趙に何が出来るだろうか」
部下B「昔、韓・魏・趙は結託して智伯を破りました。今の秦の強さは智伯に及びません。さらに、衰えたとはいえ、智伯を倒した時よりも、韓・魏・趙は力があります。油断していると足元を救われます」
この話を聞いて、昭王は韓・魏・趙を恐れるようになったと言います。
つまり、昭王は傲慢になりやすい性格でもあったわけです。
しかし、部下の話に耳を傾けるのは立派だと思います。
それでも、昭王っていうと、どこか人を食った様なイメージがあるんですよね。
白起を殺す
私が思うに、戦神を名乗るのであれば、昭王よりも白起の方がふさわしいかと思います。
戦歴を見れば明らかでしょう。
長平の戦いでは40万も長平を生き埋めにしていますし、戦いで殺した兵士の数が他の将軍を圧倒しています。
しかし、白起が病を理由に出陣をしないと言い出すと、昭王は意地でも出陣をさせようとします。
それでも、白起は病を理由に出陣を断り続けました。
ここで昭王が取った行動ですが、白起を庶民に落として咸陽から追い出してしまいます。
さらに、剣を送り自害するように仕向けました。
秦に対して、絶大な功績がある白起に対するやり方が酷すぎると思いました。
あそこまで、秦の領土拡大に貢献したわけですから、もう少し礼儀を持って接するべきでしょう。
白起がいなければ、昭王の代であそこまで領土が広がる事は無かったはずです。
既に、白起は老齢に達しているわけですから、老将に対する慈悲の心があっても良いのではないかと思いました。
自分のいう事を聞かないからと、自害させたりするのは、かなり我儘な性格だと感じます。
この頃になれば、昭王もかなり年寄りなので、既に秦に取ってみれば老害だったのかも知れませんね。
まとめ
秦の昭王は、楚の懐王を騙す行為や藺相如に屈辱を受けたり、性格的に難があると思いました。
キングダムではカッコよく描きすぎですね。
尚、6大将軍の摎は昭王の娘という記録は残っていません。
キングダムだけのオリジナルストーリーですね。
しかし、昭王は性格が悪いと思うので、自分は仕えるのは嫌ですねw
昭王は人を小馬鹿にするような態度も多く見受けられますし、コイツを戦神にするのは無理があり過ぎだろ!と思いましたw
そう思うのって、俺だけですかね・・・。