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藺相如が恵文王を守り秦・昭王をやりこめる

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上の画像は横山光輝さんの【史記】という漫画のワンシーンです。

なぜ、秦の昭王はこのような情けない姿になってしまったのかも含めたお話をします。

上の昭王はキングダムでは軍神と恐れられた人です。

軍神の貫禄が全くありませんよねw

 

藺相如は、完璧の語源となる難しい外交を成功させて、宦官の家来から上大夫に出世しました。

趙の恵文王の直属の家臣になったわけです。

今回のお話は秦の昭王と趙の恵文王が黽池の会を行った時のお話です。

昭王は恵文王をやり込めるつもりだったのですが、藺相如が活躍します。

 

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黽池の会のいきさつ

秦の昭王は趙と誼を結びたいと提案します。

そこで、黽池の会を開き会見をしたいと申し出ます。

それに対して、恵文王は難色を示します。

楚の懐王が武関で秦王と会見しようとしたら、捕らえられて幽閉され逃亡しようとしたが、捕らえられ秦に連れ戻されて悶死した事件がありました。

そういう例もありますし、諸侯の間でも秦王は恐れられているだけではなく、信用している人もいませんでした。

その秦王が会見をしようとしても、恵文王が嫌がるのは無理がありません。

しかし、藺相如が諫めます

藺相如「恵文王が行きませんと、天下に趙の弱さを示す事になってしまいます。」

といい、この言葉で恵文王は会見に臨む事にしました。

恵文王としては、渋々会見に挑む事にしたのでしょう。

恵文王が会見場所である黽池に行こうとすると、廉頗(趙の名将)が言いにくい事を言います。

廉頗「1カ月が経っても、お戻りにならない時は太子を王にする事をお許しください。趙を秦から守るためです」

恵文王としては「嫌な事を言う」と思ったかも知れませんが、聞かないわけには行きません。

「許す」とのみ答えて黽池に向かいました。

秦は虎狼の国とも呼ばれていて、何をされるか分からないため、会見に行くだけでも命がけだったことが分かります。

下手をすれば捕らえられて楚の懐王の二の舞になる可能性も十分にありました。

 

 

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黽池の会が始まる

黽池の会が始まるわけですが、会見は普通に終わったようです。

会見の後に、秦の首脳陣と趙の首脳陣の酒の席が設けられました。

宴会の席と言えども、趙王にしてみれば何をされるか分からないため、まずい酒を飲んでいた事でしょう。

酒の席で次のようなやり取りがありました。

秦王「趙王は琴を嗜んでいるとか。琴を奏でてもらいたい」

恵文王は嫌がったと思いますが、渋々琴を弾く事にしました。

秦王「御子(記録係)○月○日、秦王は趙王に琴を弾かせた。と記録するように」

これは秦王の引っ掛け問題というか、嫌らがせだったわけです。

趙王は嫌な思いをしたと思いますが、相手が大国である秦でしかも、秦の領地で会見を行っているため手が出せません。

しかし、藺相如は違っていました。

藺相如「秦王は秦の音楽を嗜んでいるようだ。缻を打って宴席を設けてもらいたい」

缻というのは、食器であって秦の庶民は飲み会などで酔っ払って叩く事が多かったようです。

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もちろん、琴を弾く事よりも程度が低いとみなされる行為です。

藺相如の言っている事は、無茶苦茶なわけです。

昭王はもちろん、嫌がりますし缻を打つのを拒否します。

しかし、藺相如は凄みを聞かせて缻を叩くように昭王に要求します。

藺相如「5歩の距離ですぞ。わたしの血を大王(秦王)に注いでみせましょうか」

つまり、5歩しか距離が離れていないので、ここで昭王の首を刎ねる事も出来ると脅したわけです。

もちろん、秦の臣下は「無礼者!」と襲い掛かろうとしますが、藺相如はそれも一喝しています。

和氏の璧の時と同じように、怒髪天を突くの勢いだったのでしょう。

秦王は気が進まないものの、やらなければ殺されてしまうため、やむなく缻を叩きました。

すると、藺相如は趙の御子に命じます。

藺相如「○月○日趙王が秦王に缻を叩かせると記録するように」

藺相如は怒りを解き

藺相如「秦王さまの余興のお陰で場が盛り上がったわ」

と笑いながら自分の席に戻ったとされています。

場が盛り上がるどころか場は凍り付いていたでしょうw

しかし、趙王にしてみれば痛快さがあったはずです。

自分は琴を弾くだけでしたが、昭王は缻を叩いたわけですからw

 

秦の群臣ともやり合う

その後、秦の群臣が反撃に出ます

秦の家臣「秦王の長寿を祝って15城を献上してはどうか?」

藺相如「そちらこそ、趙王の長寿を祝って咸陽(秦の首都)を献上してはどうか?」

このようなやり取りが続き、秦は趙をやり込める事が最後まで出来ませんでした。

秦王は先ほどの事件があったので、恐懼してしまい何も出来なかった可能性もあります。

さらに、趙の方でも不測の事態に備えて対処していたため秦も手出しは出来ずに終了しました。

 

藺相如が上卿となる

趙王は国に帰ると藺相如を上卿に就けます。

秦王が相手であると諸侯であっても、恐れてしまい口がきけなくなる事が多いわけです。

それにも関わらず、藺相如は堂々とやり合い秦王や秦の群臣を圧倒したからです。

趙の名将廉頗よりも高い位につく事になりました。

黽池の会と和氏の璧の外交により恵文王から絶大なる信用を勝ち取ったからです。

しかし、廉頗からして見ると面白くありません。

数多くの野戦・城攻めで功を挙げている廉頗から見ると、藺相如は口だけで取り入っているようにも見えるからです。

そして、廉頗の藺相如に対する嫌がらせが始まります。

しかし、最終的にはこの二人は和解して刎頸の交わりを結ぶ事になりました。

その話は次回にしたいと思います。

尚、この時に結んだ同盟は8年ほど続きました。

秦が趙に深々と攻め込み閼与の戦いで趙奢が秦軍を破るまで続いたようです。

秦みたいな同盟を結んでも、すぐに破棄してしまい領土を奪いに来るような国としては長続きした同盟といえるでしょう。

藺相如に2度も一喝されて懲りた可能性もありますがw

 

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