スポンサーリンク
関羽が嫌っていた武将の一人に黄忠がいます。
関羽という人は、「士大夫には傲慢」と評されるような人で、プライドが高く性格に問題を抱えている人物でもありました。
劉備が劉璋から蜀を奪い、さらに黄忠が夏侯淵を討ち取ると、劉備は魏の曹操に対抗するために「漢中王」を名乗る事になります。
それと同時に、功臣たちを様々な役職に就ける事にしました。
その中でも、関羽、張飛、馬超、黄忠の4人を前後左右将軍に任命したわけです。
蜀の軍事の中で、最も位が高い将軍に、関羽・張飛・馬超・黄忠の4人がなりました。
しかし、ここで関羽の性格の問題があり一悶着あるわけです。
尚、趙雲はどこに行ったの?と思うかも知れませんが、趙雲は全然出世していません・・・。
劉備の親衛隊の役割が大きく、出世することなく、魏延や李厳などよりも役職が低い状態でもありました・・・。
ちなみに、上記の画像は横山光輝さんの漫画三国志で黄忠が関羽の帽子を射抜くシーンです。
関連記事:趙雲は不遇の人生を送っていた?
スポンサーリンク
目次
関羽が前将軍の就任を拒否
劉備が劉璋から蜀を奪い、漢中も魏から奪取して漢中王に即位します。
漢中の地は、漢を起こした劉邦が項羽から任命された、漢の発祥の地でもあったわけです。
蜀が漢の後継者と名乗るには、因縁深い地でもあります。
その時に、軍事の最高将軍として前後左右将軍を置いたわけですが、関羽が前将軍の就任を拒否したわけです。
拒否した理由ですが、「老いぼれである黄忠と同列になるのは嫌だ」とのこと。
黄忠が後将軍に任命されていますので、位で言えば関羽と黄忠は同格になってしまうわけです。
これを関羽は非常に嫌がって、前将軍を拒否したわけです。
劉備は、今まで全く勝てなかったような、曹操を相手についに勝利を収めて漢中を手にしています。
その戦いにおいて、夏侯淵を討ち取るなど絶大なる功績を挙げた褒賞のつもりで、黄忠を後将軍に任命したわけです。
しかし、入蜀や漢中奪取などの黄忠の活躍を見ていない関羽は、同列にされるのは嫌だと異を唱えています。
実際に諸葛亮孔明もその事を心配していたらしく、「張飛や馬超などの黄忠の活躍を見ている諸将は、異を唱えないでしょうが関羽は別です」と言っています。
さらに、諸葛亮は関羽の性格も分かっていたようで、前将軍就任を拒否を見越していたようです。
劉備自身も関羽には自分が説得すると言っています。
スポンサーリンク
費詩に説得される
費詩は関羽に前将軍の就任の話しを告げるわけですが、関羽はやはり拒否します。
「男たるもの、あのような老いぼれとは絶対に同列にはならぬぞ」と息巻いたとされています。
この時に、費詩は位は同列ではあるかも知れないが、劉備と関羽は昔からの付き合いなので、劉備は心の中では関羽を一番大事に思っている。
漢を起こした劉邦の時代に、蕭何・曹参は創業の頃からの配下だったが、途中から韓信や陳平が入ってきて位が上になっても、文句を言った話は聞いた事が無い。
劉備と関羽は喜びも悲しみも一つの存在であると言い、関羽も思う所があり結局は、前将軍の就任を拝受したわけです。
尚、説得にあたった費詩ですが、言葉巧みに言ったというよりは、熱く語りかけたのではないかと思います。
費詩は劉備が漢中王に即位するか、どうか議論をした時には、漢中王就任はやめるべきだと直言しています。
そのため劉備の機嫌を損ねて左遷されてしまうわけですが・・・。
そういう経緯がある人なので、口先三寸で説得したわけではないと思うわけです。
関羽と黄忠の三国志演義の一騎打ちは何だったのだろうか?
黄忠が長沙太守である韓玄の部下だった時に、攻めて来た関羽と一騎打ちをした話があります。
史実だと韓玄は、いとも簡単に降伏した事になっていますが、三国志演義では劉備勢と交戦した事になっています。
その中で、関羽と黄忠の一騎打ちが行われたわけです。
初日の一騎打ちでは、関羽と黄忠は互角の一騎打ちを繰り広げるわけですが、黄忠の馬が躓いてしまいます。
ここで関羽が攻撃を仕掛けていれば黄忠を討ち取る事が出来ました。
しかし、関羽は黄忠の実力を認めて攻撃はせずに引き返しています。
スポンサーリンク
翌日に再び一騎打ちをするわけですが、その前に黄忠は得意の弓を使って関羽を狙います。
黄忠の矢は関羽の帽子の部分を見事打ち抜いています。
ここで、黄忠が関羽を射殺しなかったのは、前日の借りを返すためにやったという話です。
黄忠の上司である韓玄は、これが黄忠の裏切り行為だと感じたようで、黄忠を処刑しようとします。
しかし、同じ配下の魏延が反乱を起こし韓玄を討ち劉備に降伏しました。
この時に、黄忠も同じように劉備の配下となったわけです。
三国志演義では、これを見る限りでは、黄忠と関羽は実力を認め合う間柄に見えるわけです。
それが、前将軍就任の話しになると急に「老いぼれ扱い」してしまいます。
これを見て自分は「あの一騎打ちや弓芸は何なの?」と思ってしまうわけです・・・。
この辺りに違和感を覚えたのは、自分だけでしょうか・・・。
関羽も黄忠も愚か者?
三国志演義だと関羽は黄忠との一騎打ちで討ち取れるところを見逃しています。
黄忠も方も弓で射殺出来るはずなのに、恩義を感じて射殺しなかったわけです。
この話は一般的には美談として語り継がれています。
しかし、普通で考えれば宋襄の仁となり愚か者の行為ではないでしょうか?
宋襄の仁というのは、「つまらない情けを掛けた為に、自分が酷い目に合う」事を指すわけです。
たまたま、魏延が韓玄を斬ってくれたから、黄忠が劉備の配下となりましたが、戦闘が続いていたら、どちらかが命を落とした可能性もあります。
それを考えると、「つまらない情けを掛けた為に戦争に負けて命を落とした」可能性もあるでしょう。
さらに、兵士たちは戦争が起きれば、もちろん、死んでしまうわけです。
義に捕らえられて、敵の大将を討ち取れるのに、討ち取らないのは兵士としては納得がいかないでしょう。
自分が関羽や黄忠の部下であったとしたら、「さっさと討ち取ってくれよ!チャンスなんだからさ~」と思う可能性が高いですw
さらに、自分が韓玄だとしたら、弓矢で関羽を討ち取れるのに、討ち取らない黄忠に対して説教をする事は間違いないでしょうw
劉虞などにも言える事ですが、仁義道徳を戦争に持ち込むのは、どうかと思った次第です。
戦争は生き死にの場ですから、仁義道徳以前に、戦いに勝つことが重要だと考えています。
それを考えると、関羽や黄忠の戦いの態度って、どこか納得が出来ない部分があるわけです。
黄忠も関羽が嫌いだった?
陳寿が書いた正史三国志でも、三国志演義でも関羽は黄忠の事が余り好きではない様に描かれています。
黄忠と同列になるのを関羽が嫌がった記述を見る限り、関羽は黄忠を嫌っているように見れます。
しかし、実際には黄忠も関羽が嫌いだった可能性もあるでしょうw
というのは、関羽はあからさまに黄忠を非難しているわけです。
これが黄忠の耳に入らない分けはないでしょう。
逆に関羽が老いぼれと同格になるのは嫌だ!と言う事が耳に入ったとすれば、黄忠の方も「あんな奴と同格になるのは、こっちも願い下げだ」となるのではないでしょうか?
もちろん、黄忠が関羽を嫌っていたなどの記述はありませんが、「老いぼれ」呼ばわりされて良い気がする人はいないでしょう。
さらに、黄忠は夏侯淵を破るなどの戦功が大きい事から、得意の絶頂にいた可能性もあります。
明確な功績があるだけに、関羽の言葉は黄忠の方も納得が出来ないと思うからです。
ちなみに、私が黄忠であったならば、関羽の事が大嫌いになっていた事は間違いないでしょうw
もしかして、関羽が傅士仁・麋芳に裏切られて、孫権や呂蒙に敗れた事を聞いたら「やれやれ、あいつは、いつかはそうなると思っていたよ!」とドヤ顔で言ってしまう可能性もあるでしょうw
だけど、個人的には関羽が黄忠の事を「老いぼれ」などの、敬意のない言葉を発するのはよくないと思っています。
関羽は春秋左氏伝が好きで読んでいたはずなのですが、多分、関羽の黄忠に対する態度は、春秋左氏伝の君子に「関羽の態度は礼に合致していない」と非難されるのではないかと感じてますw
気のせいですかね・・・。
関連記事:顔良は関羽の不意打ちで殺されたのか?イケメン説も紹介