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曹操は関羽が欲した人妻(杜氏)を奪い取った事がある。

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曹操と言えば、関羽の事を高く評価していて、自分の配下の武将にしようと、あれこれと画策した様に思うかも知れません。

これは事実でもあり、曹操は関羽を自分の配下にしようと熱心だったわけです。

しかし、関羽の劉備愛は変わる事がなく、結局は官渡の戦いで袁紹軍の顔良を斬った後に、曹操の元を去ってしまいました。

一般的には関羽の劉備への忠誠心の高さを物語った話となっています。

しかし、曹操は関羽が欲した人妻である、杜氏を奪い取り自分の側室にしてしまった過去があります。

その事を関羽が根に持っていたとしたら、曹操の許を離れるのは、当たり前かなとも感じました。

劉備への義の気持ちで、曹操の元を離れたのではなく、曹操に杜氏を取られた恨みから離脱した事になるからです。

今回は、曹操は本当に関羽が欲しかったのか?との見解と、関羽が劉備の所に戻った理由などを考えてみました。

尚、人妻を自分の物にしてしまおうと考える、関羽って本当に義の人なのだろうか?という疑問もあるわけですw

 

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目次

関羽が秦宜禄の妻を欲する

劉備は、徐州を陶謙から譲られています。

しかし、劉備を頼って来た呂布と一悶着あり、張飛と曹豹が仲違いした時に、呂布に徐州を奪い取られています。

その後、劉備は袁術に攻められた時に、呂布に助けられたりもしましたが、結局は呂布に攻撃されて敗れて曹操の元に逃亡しています。

曹操は呂布を倒すわけですが、関羽は呂布を倒した時に、褒美として秦宜禄の妻である杜氏を妻に迎えたいと言い、曹操は快諾したわけです。

この時の杜氏は、秦宜禄の妻であり子供(秦郎)もいました。

それにも関わらず、杜氏を望むという事は、関羽は杜氏の事がよっぽど好きだったのでしょう。

しかし、呂布を倒した時に、曹操は杜氏を手に入れたわけですが、一目見るなり気に入ってしまい、関羽との約束を反故にして自分の側室にしてしまったわけです。

曹操と関羽、杜氏の経緯については「魏氏春秋」と「蜀記」にあり、関羽の心は落ち着かなかったと記録が残っています。

これを考えれば、関羽は曹操の人間性が信じられなくなったのかも知れません。

因みに、曹操の方は杜氏を側室にすると、曹林・曹袞・金郷公主の3人の子供をもうけています。

 

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曹操は関羽を本当に配下として欲しかったのか?

劉備は後に曹操を裏切り、徐州刺史である車冑(しゃちゅう)を急襲して殺害し、独立勢力となっています。

この時に、劉備は小沛に籠り、関羽を下邳の太守としています。

しかし、曹操が攻めてくると劉備は敗れ去り、袁紹の元に逃亡しています。

関羽は劉備が逃亡した後も、下邳を守っていましたが、結局は劉備の夫人達の命を助ける事を条件に降伏しました。

この時に、曹操は関羽を気に入っていて、自分の配下にする為に、通説では様々なアプローチをしたとされています。

美女を与えてみたり、贈り物をしてみたり、大宴会をしたりと様々なアプローチを関羽にしたとされています。

しかし、関羽の心は劉備に対する忠誠心が強く、変わる事は無かったとするのが通説です。

曹操は過去に関羽の欲した人妻である杜氏を奪っている過去があります。

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これを考えると、関羽は劉備への想いが強いと言うよりも、曹操が嫌いだったのではないでしょうか?

曹操の方も関羽に悪いと思ったのか、後ろめたさを消すために、美女を近づけてみたり、贈り物をするなどの機嫌を取る行為をした事も考えられるはずです。

曹操も杜氏を関羽に送ると言えば、もしかして関羽が曹操に振り向く可能性はなかったのでしょうか?

しかし、曹操は最後まで杜氏を関羽に送ろうとはしなかったようです。

それを考えると、曹操は関羽よりも杜氏の方を重視していた事にならないでしょうか?

曹操と関羽と杜氏の関係を考えると、曹操が純粋に関羽が欲しかったのか?という疑問すら湧いてくるわけです。

実際に、関羽よりも杜氏の方を取っていますから・・・。

 

関羽は本当に義の武将なのか?

関羽と言えば、義の武将とか堅苦しいイメージがないでしょうか?

しかし、人妻である杜氏を欲しがる辺りは、関羽も男の子?なんだな~と感じる所がありましたw

杜氏は間違いなく美人のはずだと思いますし、義の武将と言えども美人には弱かったのでしょう。

因みに、この時に杜氏の夫である秦宜禄は、まだ生きているわけです。

杜氏が秦宜禄の事をどう思っていたのかは分かりませんが、関羽が杜氏を妻にしてしまったら略奪愛になってしまいますw

三国志の時代の価値観は分かりませんが、これが義の武将と呼ばれた人のする事なのでしょうか?

義人と呼ばれる人が、略奪愛を行うのは滑稽にも感じたわけですw

特に、曹操が関羽に杜氏を与えるとしたら、実力で関羽が杜氏を惚れさせたのではなく、曹操を使って権力により杜氏を奪った事になります。

この辺りが、関羽の義の人と呼んでいいのか?という疑問もありました。

因みに、杜氏の最初の夫である秦宜禄は、曹操に妻を奪われてしまったわけです。

しかし、生き延びていましたが、劉備が徐州で反旗を翻すと張飛がやってきて「妻を奪った男に仕えるのは愚かだ」と言ったセリフが残っています。

秦宜禄は張飛と行動を共にしようとしますが、途中で気が変わり曹操の元に戻ろうとしたようですが、怒った張飛に殺害されています。

秦宜禄が一番、可哀想な人なのかも知れません。

 

劉備の凄さ

多くの男性が女性に弱いという弱点を持っているのではないかと思います。

曹操は、杜氏を自分の物にしてしまいましたし、関羽であっても人妻である杜氏を奪おうとしたわけです。

小覇王孫策と美周郎周瑜のイケメンコンビであっても、大橋、小橋という美人姉妹を妻にしています。

他にも、張飛は13,14歳くらいの女の子(夏侯淵の甥)を連れ去ってしまい、自分の妻にしているわけです。

張飛はロリ?だったのか?とも思うわけですが、男性はみな女性に弱いという事の証なのかも知れません。

周の幽王の様に女性(褒姒)の為に、オオカミ少年となり諸侯を欺き始めるなどは、異常な行動ではありますが、男は女性に弱いという例にはなるでしょう。

さらに、呉を滅ぼし三国志を終焉に迎えた司馬炎に関しては、多くの女性と「仲良し」し過ぎた為に亡くなったとする説もある位です。

しかし、劉備ってその点を考えると、常人を超えている何かがあるような気がするわけです。

ピンチになると妻子を捨てて逃亡してしまいますし、かといって劉備の夫人達が喧嘩をした話もありません。

女性に対して、大事にするような所も見えませんし、固執するような所も見えないわけです。

これを見ている関羽は、曹操と違い劉備の女性に対する固執しない姿勢がよく見えたのかな?とも感じてしまいました。

関羽が劉備の元に戻った理由の本当のところは分かりませんが、戻ったという事は劉備には曹操には無い魅力があったのでしょう。

関羽としては曹操は杜氏を奪った憎き奴だし、他に行くところもないから劉備の元に帰ろう・・・だったのかも知れませんがw

 

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