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曹操の性格は【乱世の奸雄ではなく、お笑い芸人だった?】

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曹操の性格を表す言葉に、治世の能臣、乱世の奸雄という言葉があります。

許劭という人相見が、若い頃の曹操を見て「治世の能臣、乱世の奸雄」と言ったのが始まりです。

つまり、平和な時代であれば、有能な臣下であるが、乱世であれば奸雄(ずる賢い英雄)になるという話です。

この話を聞いた曹操は、怒るどころか、むしろ喜んだとされています。

これを聞くと、曹操と言うのはずる賢く、悪い策略を張り巡らす男だと思うかも知れません。

しかし、曹瞞伝によると、お笑い芸人のような曹操も描かれているわけです。

今回は、曹操がどの様な性格をしていたのか?考えてみました。

因みに、曹操のライバルである劉備は、正史三国志ではかなり暴れていますし、孫権も酒乱だった事が分かっています。

尚、上記は横山光輝さんの漫画三国志で曹操が「乱世の奸雄」と呼ばれて納得している所です。

既に、この曹操の表情自体が、腹の中で何を考えているのか分からない雰囲気を醸しだしていますw

 

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乱世の奸雄とは

曹操の性格を考えると、「乱世の奸雄」と言うにふさわしい、狡猾な性格を考えてしまった人もいるのではないでしょうか?

頭はいいけど、自分勝手で自分中心で全て考えているかの様に、想像した人も多いかと思います。

物語の中の三国志でも、曹操と陳宮が逃亡中に、呂伯奢を勘違いで殺してしまいます。

その時も曹操は、「自分が天下を裏切ろうとも、天下が俺を裏切るのは許さん」と言い放ったりもしているわけです。

これには、一緒にいた陳宮もドン引きしてしまいます。

他にも、赤壁の戦いで呉を攻めた一番の理由が、孫策と周瑜の妻であった絶世の美女と呼ばれる大橋・小橋を手にする為だと、描かれる事もあるほどです。

横山光輝さんの漫画三国志でも、袁紹が何進に各地の英雄を集める様に進言した時に、世の中が混乱する事を曹操は予想したわけですが、それは望むような発言もありました。

この様に曹操というと、乱世の奸雄という一面が強く、頭もいいけど自分勝手な一面が多くクローズアップされているわけです。

尚、中国では、奸雄と言えば1に曹操、2に毛沢東とされています。

毛沢東も日本と国民党軍を戦わせておいて、日本が撤退したら傷ついた国民党軍を破り、中国での支配圏を確立しています。

この辺りが毛沢東が、奸雄扱いされる理由なのでしょう。

 

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曹操は威厳がない人だったのか?

曹操の性格なのですが、曹瞞伝によれば乱世の奸雄とは別の曹操像を浮かび上がらせてくれます。

それによると、曹操は威厳がなく、音楽が好きで朝から夜まで聞いていたとあります。

曹操は軽い衣服を着て、皮の袋をぶら下げていて、ハンカチや小物類を入れていた。

簡略な被り物をつけて、客と会談をし、からかい半分で話をしたそうです。

さらに、曹操は思っている事を全く隠す事をしなかったとあります。

曹瞞伝の記述を見ると、曹操の違った一面が見えてくるわけです。

曹操に威厳がないとか、ハンカチや小物類を入れている辺りは意外な一面だなと思いました。

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ちょっと、可愛い系の曹操なのかな?とも思った人もいるのではないでしょうか?

 

曹操は一発芸も持っていた!?

曹操ですが、宴席の時には一発芸?の様な事をしていた記録が曹瞞伝にはあります。

宴席で大笑いした時は、自分の頭をスープなどの器に突っ込んだと記載があります。

もちろん、頭はスープでベトベトになりますし、現代のお笑い芸人の一発芸?みたいなことをやっていたそうです。

ここまで行くと、曹操はかなり愉快な人なのかな?とも感じるのではないでしょうか?

しかし、曹操はやっぱり威厳がない人ではなく、厳しい人でもあったようです。

 

やっぱり曹操は厳しい人だった?

これらを見ると、曹操って意外と面白い人だったのかな?と思うかも知れません。

しかし、曹瞞伝の愉快な性格をした曹操の次には、冷たく厳しい曹操が描かれているわけです。

それによると、法律に厳しく、恨みがある人に対しては、法律を過度の言及して処刑したとか、そういう話が記載されています。

さらに、曹操の恨みを買った袁忠と桓邵は中国の最南端とも言える、交州に避難しましたが、曹操は太守である士燮に連絡をとり家族もろとも皆殺しにした話もあります。

他にも、自分の出した命令に民衆が不満を持つと、担当官に罪を擦り付けるなどの問題行動も記載されていました。

尚、曹操の馬が麦を荒らしてしまい、曹操が打ち首にされる代わりに、自分の髪を切った話がありますが、それも曹瞞伝に書かれています。

これらを見ると、曹操ってやっぱり恨み深いし、恐ろしい奴なんだな・・・と感じるはずです。

尚、曹瞞伝には曹操は、諸将のうちで自分よりも優れた計画を持っていた人物は、法を過度に適用して処刑したとあります。

しかし、曹操って完全に能力主義で、人材をかなり集めていますので、これは余り当てはまらないのでは?と思った部分もありました。

それでも、荀彧、孔融など人によって理由は違いますが、曹操に殺された人はいるわけです。

それを考えれば、全く当たっていないわけでもないのかも知れません。

 

人間には様々な面がある

今回は、曹操の性格などのお話しだったわけですが、これを考えると人間には様々な面があったという事なのでしょう。

曹操は特に恨みがあった人たちには、容赦ない事が書かれていました。

これを見ると、曹操っ恨み節で根に持つタイプなんだな~と思うかも知れません。

しかし、歴史上の人物で屈辱をバネに這い上がった人もいるわけですが、権力を握ると復讐している人も多いわけです。

春秋戦国時代の范雎は魏斉に恨みを持ち復讐していますし、伍子胥は恨みがある楚の平王が死亡していた為に、墓を掘り起こして鞭を打ったとされています。

日本でも徳川家康は人質時代に虐められたり、嫌がらせをされた事がありますが、権力が上回った時には復讐しているわけです。

それを考えれば、曹操だけが恨み深いわけではないと思いました。

尚、曹操ですが、身内や肉親に対しては甘く優しい一面もあります。

曹植辺りは、酒に溺れているような息子だったわけですが、詩の才能があったりして、愛情を注いだとされています。

曹彰の様な勇猛果敢な息子が、烏丸征伐で武勲を挙げた時には、髭を触って成長を喜んだ話もあるわけです。

それを考えると、お笑い芸人のような事をした話や、威厳がない話なども、曹操の一面であり本当の事だったのかも知れません。

曹操も腹の中で何を考えているか分からない様な、一面だけの人ではなかった事は間違いないでしょう。

短気と評される人であっても、常に怒り続けて切れているわけでもなく、温厚な時もあるわけです。

しかし、威厳が無いと書かれたという事は、曹操は案外、私のような人なのかも知れませんw

そう思うと、親しみが湧いてきますw

 

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