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黄蓋は赤壁で火計が成功するも、寒水に落ち便所に放置された!?

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黄蓋と言えば、赤壁の戦いで勝利に貢献した人物として有名です。

黄蓋がいなければ、周瑜は火計を成功させる事は出来なかったのかも知れませんし、呉軍は敗れ去ったのかも知れません。

それを考えれば、赤壁の戦いでの重要なプレイヤーとなるでしょう。

しかし、黄蓋は赤壁の戦いで、火計を成功させた後に、どの様になったかは余り知られていません。

結論を言えば、寒水に落下し味方に助けられたが、便所に放置されていた事実もあるわけですw

今回は、三国最大のイベントであり、魏の曹操と呉の孫権が戦った赤壁の戦いでの、黄蓋の活躍を紹介します。

 

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黄蓋が周瑜に火計を進言する

陳寿が書いた正史三国志の周瑜伝によれば、黄蓋が敵の艦隊が密接に繋がっている事を見抜き、火計を進言した記録があります。

三国志演義のように、龐統が曹操の陣営に出向き連環の計を掛ける話や、周瑜と黄蓋が芝居を打ち、苦肉の策を実行するなども話しもありません。

しかし、黄蓋が曹操軍の弱点を見破り、呉の大都督である周瑜に火計を進言した記録はあります。

さらに、曹操に信用させる為に、偽投降の手紙を送ったのも事実でしょう。

曹操は怪しみますが、黄蓋が寝返るのであれば莫大な恩賞を用意すると言い、投降を受け入れる事にしたわけです。

曹操に送った手紙の内容に関しては、江表伝に詳しく呉では張昭や多くの大臣が曹操に降伏を進めたのに、周瑜と魯粛の二人が無理やり孫権を説得して開戦に向かわせた話などが載っています。

さらに、自分は孫堅・孫策に仕えて・・・と心情を語り、この辺りは三国志演義と大部分が同じです。

長江の北側には曹操軍がいて、南側には呉の孫権軍がいました。

この時に、黄蓋は風向きを計算して、蒙衝(もうしょう)と呼ばれている駆逐艦と闘艦(戦艦)を指揮して、曹操軍に突っ込ませたわけです。

黄蓋は、もちろん火計の準備をしていたわけですが、これが勝利を手繰り寄せる事になります。

赤壁の戦いで、最も活躍したのが黄蓋だとも言えるでしょう。

しかし、赤壁の戦いで火計を成功させた黄蓋は有名ですが、その後に、どうなったのかは意外と知られていません。

 

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寒水に落ち便所に放置される

赤壁の戦いで、黄蓋は火計を成功させて、曹操軍の戦艦は炎で燃え広がったわけです。

この後の、黄蓋ですが、「呉書」によれば、流れ矢にあたり、寒水に落下したとあります。

多分ですが、火計が成功して火が燃え広がる所を目撃した黄蓋は、「勝った」と思い、テンションが上がりまくってしまったのではないでしょうか?

敵を恐れずに、勇敢に船の上に立っていたんだと思いますが、調子に乗り過ぎて弓矢に当たってしまったのかも知れません。

黄蓋は、赤壁の戦いの他にも、山越族との戦いでも大活躍するなど、名将と呼ぶに相応しい人物です。

しかし、この時ばかりは、気分が高揚しすぎてしまったのでしょう。

多分ですが、鎧を着けたまま、寒水に落ちてしまったのではないかと思います。

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鎧を着けていた事で、泳ぎにくく、自力で船に上がりにくかったのではないでしょうか?

もちろん、溺れてしまったと思われますが、呉の兵士に助けられたわけです。

水に落ちると言えば、西周時代の周の昭王を思い出しますが、黄蓋も水に落ちて兵士に命を救われています。

ただし、周の昭王は助かったような、死亡したような感じですが、黄蓋は間違いなく生き残っています。

 

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便所に放置される

黄蓋は、兵士に助けられたのはいいのですが、水に濡れてみすぼらしい姿になっていたのでしょう。

呉の兵士は、黄蓋だとは気が付かずに、便所に放置してしまったわけです。

もちろん、黄蓋は寒くてたまらなかったはずですし、便所で震えていたのでしょう。

「それだったら自分の名前を名乗ればいいのでは?」と思うかも知れません。

しかし、黄蓋はみすぼらしい姿になっていた為か、誰も黄蓋だとは気が付かずに、名前を言っても信用されなかったのでしょう。

黄蓋は山越族の討伐や様々な地方の長官としても活躍した名将にも関わらず、誰にも気づかれない耄碌した爺さんだと思われていたのかも知れません。

しかし、天は黄蓋を見捨てていなかったのか、同僚の韓当が通りかかったわけです。

呉書によれば、「力を振り絞って一声、韓当の名を叫んだ」とあるので、黄蓋はかなり体力を消耗していて、残る気力を振り絞って韓当に声を掛けたのでしょう。

韓当は、黄蓋だと気が付き、涙を流して衣服を着替えさせたとあります。

この時には、曹操は曹仁に江陵を守備させて、撤退を始めていたでしょうし、呉の勝利は確実となっていた事でしょう。

黄蓋も韓当もお互いに胸にこみ上げるものがあったのではないかと思います。

三国志と言えば、劉備、関羽、張飛や、孫策と周瑜などの友情が有名ですが、孫堅の頃から重臣として呉に仕えた、黄蓋と韓当も負けず劣らず仲がよかったのかも知れません。

これにより、黄蓋は無事に赤壁の戦いで勝利しただけではなく、戦死せずに生き残ったわけです。

もしかして、韓当が通りかからなかったら、黄蓋は寒さで衰弱して亡くなっていたのかも知れません・・・。

 

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見た目が大事なのかも知れない

黄蓋ですが、正史三国志によれば、威厳のある風貌であり、部下の面倒見もよかったとあります。

これらの態度に感化されてか、部下たちは黄蓋の為に、命を惜しまずに先を争って戦ったとあるわけです。

しかし、赤壁の戦いで寒水に落下し救出された黄蓋では、髪もバラバラだと思いますし、「みすぼらしい老人が震えている」位にしか見えなかったのでしょう。

本来の威厳のある風貌や人望のある部分が、姿を消してしまい、そのお陰でトイレで放置されてしまったのではないかと思いました。

それを考えれば、雄偉に見える様に外見を整える事は非常に大事なのでしょう。

たまに、作業服姿だけど、凄い会社を経営している社長などもいますが、基本は外見を整えて、常にビシッとしている事が大事だと思いました。

自分も身だしなみには、気を付けていきたいところです。

自分に対しては、それで身だしなみを気を付けているのかよ!というツッコミもあるかと思いますがw

 

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