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三国志・キングダム「春秋戦国時代」と日本の政治経済【俺の歴史書】

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魯粛【赤壁の戦い勝利の大立役者】

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私は赤壁の戦いで最も活躍したのは魯粛だと思っています。

魯粛は大人しいイメージがありますし、レッドクリフを始めとした映画でもお人好しの役柄を振り分けられています。

しかし、魯粛自身は、かなり熱弁していますし、堂々と発言しています。

確かに、孫策と太史慈のように一騎打ちをしたとか、そういう逸話がありませんが、何も豪胆という言葉は戦場だけにあるわけでもないでしょう。

宮廷や外交においても豪胆な人という人はいるのだと教えてくれます。

今回は、魯粛の熱弁伝説?を紹介します。

尚、魯粛が孫呉に入るきっかけになった周瑜との出会いは下記でお話しました。

 

関連記事:魯粛と周瑜【魯粛は決して怒られ役ではない】

 

魯粛一人の反対により降伏出来ない【赤壁の戦い前】

赤壁の戦い前ですが、孫権配下の人達は曹操に対して「降伏しよう」とする声が多かったわけです。

そこで反論したのが魯粛です。

この時の構図ですが、降伏派は張昭を筆頭に呉の臣下全員です。

それに対して、主戦派が魯粛一人ですw

普通で考えれば一人反対した位では、数の論理よにり降伏する事が決定するはずです。

しかし、魯粛一人に呉の重臣の全員が苦戦してしまい、説得する事が出来ない状態だったわけです。

魯粛は曹操に勝てると考えていましたが、呉の重臣たちは勝ち目がないと考えていました。

もちろん、孫権自身も戦いたい気持ちがあった為に、降伏論にウンザリしていたのもあるでしょう。

確かに、魯粛の反対だけで魏の曹操と対決は決まりませんでしたが、降伏派を魯粛一人で奮戦して封じ込めていた事は確かなはずです。

 

孫権を脅迫

魯粛が一人奮戦して熱弁している事で、議論は平行線を辿ります。

そして、孫権も疲れてしまったのか、ひと時の休憩を入れる事にしました。

その時に、魯粛も休憩に一人ついて行ったとされています。

魯粛一人だけがなぜ休憩に入って行けるのかは分かりませんが、そう言う事になったようです・・・。

魯粛の言った言葉が「私は降伏すれば、それなりの位に就けてもらえるでしょう。だけど、あなたは、そうは行きませんよ!」です。

この当時の家柄の格式で言えば、孫権の家よりも魯粛の家の方が名門として世間に認識されていたようです。

つまり、直訳すると「あなたは家柄が低いから、私と違って降伏したら偉い目にあいますよ!」と言っている事になりますw

既に魯粛は説得ではなく、脅しに入っているわけですw

そして、魯粛は孫権の考えを伺うと、孫権も戦う意思がある事が分かりました。

これにより、魯粛は周瑜を召喚したり、諸葛亮に意見を言わせる事で降伏論を抑え込み孫権は魏と戦う道を選びました。

一般的に、諸葛亮や周瑜が孫権を説得したようになっていますが、実際には魯粛が主導したのでしょう。

周瑜はなぜか、魯粛が引っ張ってくるまで、会議に登場しません。

呉の運命を左右される重要な会議にも関わらずに、最初から会議に参加していないわけです。

これも不自然に感じますが、呉軍の都督に周瑜が就任して、補佐する役割として魯粛が就任しています。

魏の曹操と赤壁で対峙しましたが、見事勝利しています。

 

赤壁の戦いが終わると

赤壁の戦いが終わると、孫権は魯粛の功を労います。

孫権「私が馬の鞍を支えて君を馬から迎え降ろしたならば、君の功績に報いたと言えようか」

魯粛「十分とは言えません」

この回答に群臣はどよめきます。

魯粛「主君が天下統一なされ皇帝となり安車蒲輪(天子が賢者を召す特別の車)にて召してくださらねば十分とは言えません」

つまり、魯粛は赤壁の戦いの勝利で満足せずに、皇帝になれと言っているわけです。

これには孫権も多いの驚き喜んだとされています。

魯粛は、このような気の利いたセリフも言えるのが特徴です。

しかし、孫権も諸葛恪を好んだように、こういうセリフは好きなはずです。

魯粛も孫権の性格を知り尽くした上での言葉だったのかも知れません。

 

赤壁の戦いで最も評価されるべきは魯粛である

赤壁の戦いでは、大都督となった周瑜や火刑を進言して実行した黄蓋などの活躍で勝ったと感じている人も多いです。

苦肉の策で曹操軍を騙すのにも一役買っています。

三国志演義では、諸葛亮孔明が風を吹かせたりしていますし、劉備配下の関羽、趙雲、張飛なども活躍しています。

さらに、龐統が連関の計を使っていますし、劉備陣営の史実にはない活躍も描かれています。

しかし、赤壁の戦いは魯粛がいなければ、さっさと孫権は降伏してしまった可能性もあるでしょう。

その事は、孫権自身も分かっていたようで魯粛には特別に「私が馬の鞍を支えて君を馬から迎え降ろしたならば、君の功績に報いたと言えようか」という言葉を与えたのでしょう。

それを考えれば赤壁の戦いの功労第一は魯粛でいいのではないかと思います。

さらに、史実の赤壁の戦いは分からない事も多く火刑があったのかも、ちゃんとした戦闘があったのかもはっきりとしない所も多いのです。

しかし、赤壁の戦いにより曹操は北に帰ったわけですから、孫呉の勝利は間違いないでしょう。

私は功労第一は誰がなんと言おうと魯粛だと考えています。

ちなみに、魯粛がいなければ呉の領地は魏の領土になっていたはずであり三国時代も到来しなかった可能性もあります。

劉備も荊州に土地を得る事も出来ませんし、後の益州攻略も曹操によって成し遂げられていたはずです。

それを考えると三国時代という戦乱の時代は魯粛のお陰で出来上がったとも言えます。

民にして見れば戦乱の時代がさらに続いたわけで、迷惑な人だったのかも知れませんw

 

 

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