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大坂の陣の巨大陣図が見つかった事で話題になっています。
4枚組になっていて、2,5メートル四方になると言いますから、サイズで言えばかなり巨大な事になります。
成人男性よりも、遥かに大きいサイズの巨大陣図です。
ちなみに、上記の画像は巨大陣図の画像です。
ニュースは毎日新聞の下記のニュースをお読みください。
大坂の陣は、真田幸村が真田丸で活躍した大坂冬の陣と、堀を埋められてしまい野戦で対決した大坂夏の陣があります。
今回、見つかったのは大坂夏の陣の陣図との事です。
尚、これだけの巨大陣図にも関わらず最古級の陣図だというから驚きです。
公開してくれた、広島県福山市出身の古地図収集家、守屋寿さんには感謝したいと思っております。
関連記事:徳川秀忠は関ケ原では遅参して、【大坂の陣では暴走】している事実
目次
17世紀後半に作成されたのか?
先に述べたように、大坂の陣の巨大陣図は大きさが2,5メートル四方もあるそうです。
これだけの陣図を描くには、かなりの年月を要したのではないかと思いました。
さらに、調べによれば17世紀後半に作成されたのではないかと考えられているそうです。
17世紀後半の将軍と言えば、徳川家綱や徳川綱吉が将軍をやっていた頃になるでしょう。
17世紀後半の徳川綱吉の時代は、元禄文化が盛んでもあり、それらの一環として作られた可能性が高いそうです。
なぜ、17世紀後半に描かれたと想像できるかと言えば、絵の描き方などが原因とされています。
これに関しては、これから先、覆る可能性もあるのかも知れません。
大坂の陣で活躍した武将の配置図が分かる
大坂の陣の巨大陣図には、配置した武将の位置が分かるようになっているそうです。
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これは非常に興味深いと思いました。
ただし、徳川家康や一部の武将に関しては、付箋が貼ってあるなどの処理もしているとのこと。
神君と言われる徳川家康が、一般の大名たちと一緒に描くわけにはいかないと考えて、付箋で貼ってあるとの見方が強いそうです。
私は今回発見された陣図をパソコンやスマホで見てみましたが、残念ながら武将の配置図までの文字が読む事が出来ませんでした。
そのため、現段階では、どのように描かれているのか分からない状態です。
しかし、新たなる発見があればいいかなと思いました。
ただし、通説と異なるような配置図になっていた場合は、通説が変更になってしまったりするのかも知れません。
他にも、歴史小説などを書いている作家の場合であれば、「書き直さなきゃ・・・」と考える人が出るかも知れませんね。
尚、陣図と言っても、どこまでが正確かはかなり検証がいるのでは?と考えています。
この陣図に関しては、7月から9月には一般公開されるそうです。
今から楽しみにしています。
関連記事:大坂夏の陣で豊臣秀頼が出陣しなかった理由
関ヶ原の正確な陣図が見たい
今回は、大坂の陣の陣図でしたが、それ以上に私が知りたいと思ったのは、関ケ原の戦いの正確な陣図です。
通説となっている陣図に関しては、1時資料などと比べてみると、石田三成がいた位置や徳川家康の配置場所なども全然違う事が分かってきています。
発掘作業などにおいても、違いが見えて来ていて、関ケ原の戦いと言う言葉が無くなってしまうのでは?という感じにもなっているわけです。
これらに関しても、いずれ研究が進み解明される日が来る事でしょう。
今回、陣図を公開してくれた福山市出身の古地図収集家、守屋寿さんには感謝いたしております。
磯田道史さんなども、この陣図を注目しているのではないか?と思っています。
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