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司馬炎の死因は、女とやり過ぎたから!?

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司馬炎は、三国志の時代を終焉させた人物とも言えます。

司馬懿の孫にあたり、呉を滅ぼして中国を統一した西晋の皇帝です。

これを考えれば名君と言えるのかも知れません。

しかし、統一後は生活が緩み暗君に転落したとも言われています。

司馬炎ですが、女性大好きな皇帝としても有名で、後宮に美女1万人を集めたとも記載があります。

女性とやりすぎて死んだと言う話も、ある位なわけです。

今回は、司馬炎の女好きのトンデモエピソードなどを紹介します。

尚、日本にはかつて、紀州のドンファンと言われた美女4000人に30億貢いだ人がいました。

しかし、中国の皇帝となれば、桁が違うなと思った次第です。

上記の画像は、自分が勝手に司馬炎の最後の姿を予想してみましたw

因みに、元画像は南アフリカで発見された干からびた人間です。

なぜ、こうなったのかも解説しますw

 

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司馬炎は三国志を終焉させた男である

司馬炎は、三国志を終焉に導いた男です。

司馬懿が魏で曹爽との政争に勝利し、魏の皇帝を凌ぐほどの権力を持ちました。

司馬懿亡き後は、息子の司馬師と司馬昭が実権を握り続けています。

司馬昭が魏の実権を握っている時に、鄧艾らの活躍があり、蜀の劉禅を降伏させています。

これにより、蜀は滅亡しました。

司馬炎が三国志を終らせたと言いますが、実際に蜀が滅んだ時点で、三国ではなく、魏と呉の二国しかないわけですから、司馬昭が三国志を終らせたという見解もあります。

その後、蜀を滅ぼしてから数年で司馬昭は、痛風に掛かり死亡しました。

司馬昭の後継者が、司馬炎です。

呉は孫権の後期には、孫権自身が耄碌しており、国力を落としていますし、孫休の時代に回復する兆しを見せましたが、いいところで、孫休も死亡しています。

その後、呉は孫晧が皇帝となりますが、暴君であり国内や政治は荒れていたわけです。

衰えた呉に対して、司馬炎は杜預、王濬らを派遣して一気に、呉を滅ぼしています。

ここにおいて、司馬炎は天下統一したわけです。

黄巾の乱が始まってから、100年ほど統一の時代はありませんでしたが、ついに司馬炎が最後の勝者となりました。

統一までは良かったのですが、ここから先の司馬炎は、堕落していったと言われています。

ただし、自分の見解では、統一前から司馬炎に対して「こいつ大丈夫なのか?」と思える所があったように思えてなりません。

 

関連記事:司馬懿は悪なのか?それとも正当防衛?【曹爽を出し抜く演技】

 

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美女を集める為に、結婚を禁止させた

信じられないような記録が残っているのですが、晋書などによると、司馬炎が結婚を禁止したとする布告を出したと言うのです。

何のために、出したかと言えば、自分の後宮に美女を入れるために、結婚を禁止したと言います。

これにより、司馬炎は全国から美女を集める事に成功したとも言われていますw

司馬炎が女性に結婚を禁止する詔勅が出されたのが、西暦273年の事で、呉は衰えたと言えども健在な時期です。

これを見ると、統一前から既に、政治の緩みが出ていたと言えるのかも知れません。

止める奴はいなかったのか?と思えてならないのは、私だけでしょうか?

多分ですが、司馬炎が後宮の美女を増やすために、結婚を禁止する詔勅を出した時は、多くの民衆が呆れてしまったのではないかと感じていますw

しかし、晋(魏から禅譲された)には、優れた家臣も多くいましたし、司馬炎が女性を集める様な政策を行っても、天下統一の勢いはあったようです。

逆を言えば、呉の孫晧はそれ以上に、酷かったのかも知れません。

孫晧の場合は、宮女に相撲を取らせたとか、変な逸話もある位なので・・・。

尚、後に司馬炎は呉を滅ぼすわけですが、呉の皇帝である孫晧の後宮の女性も全て、自分の物にしてしまった話も残っていますw

司馬炎は三国時代を終らせて統一王朝を作ったと言われていますが、後宮も統一させてしまったわけですw

 

司馬炎は、統一後はやりまくっていたのか?盛り塩の由来を作る

天下統一して、三国志を終らせた司馬炎ですが、完全に気が緩んでしまい統一後は美女とやりまくっていたとも言われています。

司馬炎は羊に引かせた車に乗って、後宮を移動して、羊が止まったところの美女とやる生活をしていたとされています。

女性の方は皇帝である司馬炎の寵愛を受ければ、皇后になれるかも知れないと思ったのか、自分の部屋の前に塩を撒いたとも言われています。

この塩を羊が感知すると、足が止まるらしく、積極的に塩を撒いた女性もいたようです。

尚、これが「盛り塩」の由来となり、商売繁盛のために撒く風習が出来たとも言われています。

一般的に司馬炎の事柄から、出来た言葉ともされていますが、その前から後宮では行われていた話もあります。

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司馬炎の子供は意外と少ない?

司馬炎は、女性とやりまくっていたとされています。

そうなると、司馬炎はかなり子供がいたのではないか?とも思われるわけです。

しかし、調べてみると、確認が取れたのは男女合わせて30人位となります。

30人と言えば多いように感じるかも知れませんが、後宮に美女1万人がいて、毎日、違う女性とやっているとしたら少ないような気もするわけです。

尚、劉備の先祖ともいえる中山靖王劉勝は、120人の子供がいたとも言われています。

中山靖王劉勝は、漢の武帝時代の人で、皇帝よりも下の王の位です。

それで120人も子供が出来るのであれば、司馬炎はもっと多くの子供がいてもいいのかな?とも感じました。

それか、後宮に1万人の美女を集めたけど、お気に入りの姫が出来てしまい、結局はお気に入りの数人と積極的に行為を重ねただけなのかも知れません。

その辺りは、謎な部分が多いです・・・。

 

関連記事:劉備の先祖・中山靖王劉勝ってどんな人?

 

司馬炎はやり過ぎて死んでしまったのか?

司馬炎は、実際にやり過ぎて死んでしまった話があります。

「やり過ぎて死んだ!ざまあみろ」とか「女性とやりすぎて死んで、世間の物笑いになった」とする文献もあるみたいです。

実際に、自分も考えてみたのですが、多分、やり過ぎて死んだという事は、司馬炎の最後は下記のような感じだったのかも知れません。

やりすぎてしまい、栄養分が無くなり、ミイラのような状態になったと言う事ですw

これは、私が勝手に作った説ですが、ここまで女好きだったら、凄いなと思っておりますw

 

息子・司馬衷の奥さんはブスだった?

司馬炎が亡くなると、司馬衷が後継者となり西晋王朝の皇帝となります。

司馬衷は、暗君と呼ばれていて民衆が飢えている時に、「米がないのであれば、なぜ肉を食わんのだ!」と言ったとする話が残っています。

ただし、司馬衷が即位した時期は、権力闘争の時代でもありましたし、暗君の振りをしていた説もあります。

司馬炎が美女好きだったわけですから、子である司馬衷の皇后になる人物もさぞかし美人だったのでは?と思うかも知れません。

司馬衷の皇后には、賈南風がなったと言われています。

賈南風は外見が悪かったと、記録があり、司馬炎は「嫉妬深く、醜く、色黒く、背が低い」と酷評した記録が残っています。

ただし、重臣である賈充の娘であるため、司馬衷の正室にしました。

賈南風は、司馬衷を皇帝にさせる為に、学者を呼んで文章を作らせて、司馬衷の書いた物だとし提出した記録もあります。

さらに、司馬衷が皇帝になると、賈南風は権力を握り粛清などもかなり行っています。

これにより、西晋の内部は疑心暗鬼が広がり国が乱れはじめるわけです。

しかし、賈南風は最後に、政争に敗れて自害しました。

夏の傑王の末喜、殷の紂王の妲己、周の幽王の褒姒、唐の楊貴妃などは傾国の美女と呼ばれたりしますが、外見がよくない女性であっても、国を傾ける事があると言う事なのでしょう。

案外、賈南風が暴走したのは、司馬炎が余りにも美女好きで、美女ばかり重用する所が気に入らなくて、その反動により暴走したのかな?と思える所もあります。

賈南風と駱俊の政争などもあり、それが八王の乱を引き寄せてしまい、結果として西晋は滅び、晋は建業を首都にする東晋に変わったわけです。

東晋の領土は、三国志の呉と蜀を足した辺りで、北方は異民族の侵入もあり大混乱の状態になりました。

三国志が終り統一王朝の時代も30年ほどしか繋がらなかったわけです。

それを考えれば、司馬炎が美女を集め過ぎた所に西晋の滅亡があったのかも知れませんw

 

関連記事:究極のオオカミ少年・周の幽王【西周王朝の滅亡】

 

司馬炎の葬儀には美女一万人が参列したのか?

日本には紀州のドンファンと呼ばれる男がいて、美女4000人に30億を貢いで、有名になった事がありました。

55歳年下のモデルと結婚したりして、男の夢?を実現した様な人にも思えたわけです。

しかし、急死してしまい葬儀には、20人位しか参列しない寂しい葬儀だったとも聞いています。

紀州のドンファンの葬式に、4000人の美女が参列したのではあれば、凄いと思いますが、そういう風にはならなかったようです・・・。

自分が勝手に考えているのですが、司馬炎の葬儀には、もしかしてですが、1万人の美女が参列して凄い事になったのではないでしょうかw

この辺りは、詳しく調べきれていないのですが、1万人の美女が参列したのであれば、凄いなと思いますし、皇帝の権力の凄さをある意味、見せつける事になったのかも知れませんw

紀州のドンファンは実業家の金持ちでしたが、この辺りが皇帝と民間人の違いなのかも知れません。

それでも、美女1万人が葬儀に参列したら、凄いなと思いますけどねw

 

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