スポンサーリンク
魯粛が217年に亡くなると、呂蒙が後継者となります。
しかし、魯粛は呂蒙の事を最初から高く評価していたわけではありません。
今回は、魯粛が呂蒙の事を高く評価するきっかけになったお話です。
諺にもなった「呉下の阿蒙」に非ずの話しです。
尚、現場一筋、本なんて一切読まないという方は呂蒙を見習った方がいいかも知れません
呂蒙は武将から知将に覚醒する事になります。
関連記事:周瑜の遺言を聞かなかった孫権・・・。
関連記事:関羽は死んで当然だと思った件!【威張られたい奴はいない】
スポンサーリンク
目次
魯粛と呂蒙が会見するきっかけになった経緯
周瑜が病死すると、後継者に魯粛を指名します。
しかし、孫権はそれに従わず江夏太守である程普に南郡の責任者を指名します。
程普は江夏を本拠地におくか南郡の江陵に本拠地を置くか悩みます。
悩んでいるうちに、劉備側の関羽が周瑜の部下を追い出して江陵を占拠してしまったわけです。
これに孫権が慌てて、急ぎ魯粛を陸口に向かわせます。
魯粛が陸口に向かう途中で、呂蒙からお誘いがあったわけです。
当時の呂蒙は武辺一辺倒の人だと思われていて、魯粛も行くのを渋っていたようです。
しかし、責任者になる以上は合わないわけにも行かないので、魯粛と呂蒙は宴会をする事になりました。
スポンサーリンク
呉下の阿蒙に非ずの諺が出来る
魯粛は呂蒙に誘われたわけですが、「バカ騒ぎする宴会」を想像していたのかも知れませんw
お祭り騒ぎをして、朝までバカ騒ぎをするという発想です。
魯粛は豪胆な人物ではありますが、バカ騒ぎなどは、好きな印象はありません。
そのため呂蒙に会うのが憂鬱だったのでしょうw
呂蒙と会合を始めるわけですが、バカ騒ぎは始まる事はなかったようです。
逆に、呂蒙が魯粛に戦略についての意見を求めてきます。
呂蒙「荊州は我が主君(孫権)に取っても重要な地です。しかし、北部の襄陽には曹操も控えていますし、劉備は荊州の全てを我が物にしようと考えています。あなたは、どのように考えているのでしょうか?」
魯粛「臨機応変に事に当たっていくつもりだ」
呂蒙「曹操や劉備は非常にずる賢く手強い相手です。策も立てずに、臨機応変に考えるのは危険極まる考えです」
呂蒙の事を武芸しかないと男だと思っていた魯粛は、これを聞いてビックリします。
この男はいつの間に、こんなに凄い事を言えるようになったんだ!と驚きました。
さらに、呂蒙は魯粛に対して、今後、どのようにして劉備や曹操に対抗すればいいかの策まで魯粛に授けています。
魯粛は呂蒙に対して敬意を表して次にように言ったとされています。
魯粛「君(呂蒙)は、武芸だけの人物だと思っていたが、こんなに成長しているとは思いませんでした。君の事を「呉下の阿蒙」扱いは出来ない」
呂蒙「人間というのは、3日会わなければ変わっている事もあるものです。」
つまり、呂蒙は人間は3日会えば成長して変わっている事もある。
いつまでも昔のままだと思っていれば恥を掻くと言いたかったのでしょう。
尚、「阿蒙」というのは「蒙ちゃん」という意味なので、子ども扱い出来ない事を指します。
しかし、外交官として活躍して、関羽相手も一歩も引かずに交渉するような魯粛からして見れば、
「この言葉を真に受けてこの返答をするようではまだまだだの~」と内心ドヤ顔で思った可能性もありますw
しかし、魯粛は呂蒙の成長を認めて、呂蒙の母親に合わせて欲しいと言い出したと伝わっています。
つまり、魯粛は呂蒙と家族ぐるみで親しい付き合いをしたいと言い出したわけです。
スポンサーリンク
もちろん、呂蒙も断る理由はないので、二人は深く交わる事になります。
この時に、呂蒙の成長を魯粛が認めた事で、呂蒙は魯粛の後継者として大きく前進した事でしょう。
魯粛が死んだ後に、呂蒙が呉の都督となり関羽を討ち取り荊州を奪還するとは、この時に魯粛が思ったのかは定かではありません。
尚、蘇飛と黄祖と甘寧の話しを見ても認めてくれる人がいる事は大事だと思います。
他にも、孫策と太史慈の話しや諸葛孔明の話しを見てもやっぱり実力を認めて推挙してくれる人の存在は大事です。
関連記事:蘇飛がいたから甘寧は名将になれた
呂蒙が武将から知将になるきっかけ!
呂蒙がただの武将から戦略的な事も出来る知将に変化したのは孫権が大きく関わっているようです。
尚、呂蒙は15歳の時から孫策に従って戦っています。
もちろん、歴戦の勇者として名が通っているわけです。
孫権はある時、呂蒙と蒋欽の二人を呼び寄せて武芸だけではなく、読書をする事を勧めたとされています。
一軍の大将であれば、戦いの事だけではなく教養も身につけろと言いたかったのでしょう。
もちろん、二人は完全に現場人間ですし、書物を読むなどは嫌いな行為です。
しかし、孫権は熱心に二人を説得して、呂蒙と蒋欽は読書に励む事になります。
2人が読む事にした本は、孫子や呉氏、六韜、春秋左氏伝だったとされています。
孫子や呉氏などは戦争について書かれている本なので、現場人間としては役立つ事も多かったはずです。
現場でいちいち考えなくても、書物を読んでおけばいいだけだったのか!と気づきがあったのかも知れません。
しかし、これにより呂蒙は戦略家として大きく成長して、最後は関羽を討ち取るまでになっています。
急成長の秘密は孫権にありました。
現場人間の人も読書をしてみては?
現場人間で読書は役に立たないと思っている人もいるかも知れません。
他にも、読書を無意味と感じている人がいたら、読書をしてみるのもいいかも知れませんね
読書を一切しない人が、読書からさらなる知識を手に入れる事で大きく成長できる可能性もあると言う事です。
逆に、読書ばっかりしていて現場経験が貧しい人が春秋戦国時代の長平の戦いで白起に敗れてしまった趙括なのでしょう。
関連記事:趙奢が息子・趙括に論破された話!二人の違いも検証しました
関連記事:プライドが高すぎると酷評に耐え切れず敗北する【馬謖、子玉、趙括】
他にも、馬謖などもその傾向が強いように思います。
現場で臨機応変にやる事も大事だけど、読書する事も大事だと思います
ただし、現場が先か、読書が先かと言えばどちらが正しいかは人によるのではないかと思います。
私の場合は、いきなり現場で活躍出来ない所もあるので、まずは読書から入る方が得意ですw
尚、余談ですが、私はサラリーマンの時に全く使われずに、どちらかと言えば怒られ役でした(涙
しかし、現在は自営業でやっていて、株式会社の社長なのですが、昔のイビッていた上司などは俺に会うと逃げたいような雰囲気になる事が多いですw
出来の悪い奴だと思って虐めていた奴が活躍するのを見ると、内心穏やかではないのでしょう。
しかし、僕は出来た人ではないので、とりあえずドヤ顔で対応するように心がけていますw
嫌な人間というのは、俺のような人を言うのでしょうw
呂蒙や魯粛などを見習いたいところです・・・。
三国志:三国志の記事一覧はこちらから