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呂布が曹操に捕らえられて処刑される時に、劉備は呂布をさっさと殺す様に進言しています。
それを呂布が「こいつが一番信用出来ないんだぞ!」と劉備に向かって罵声を浴びせたとされています。
普通で考えれば呂布に「お前が言うなよ!」と思うかも知れませんが、劉備も劉備で言われても仕方がない行動を取っていたりするわけですw
今回は、なぜ呂布が劉備に向かって「一番信用が出来ない奴」だと叫んだのかを解説します。
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目次
呂布が劉備の事を弟と呼んでいる
呂布は董卓を殺害した後に、賈詡の進言により攻撃してきた李傕や郭汜に敗れています。
そこから放浪生活が始まるわけですが、厚遇(張邈・張楊など)されたり、殺害されそうになったりして劉備に助けを求めたわけです。
呂布は反董卓連合軍が董卓を攻撃するのを見た、私(呂布)が董卓を殺害して関東に出たのに厚遇してもらったのは一人もいなかったと言います。
張邈や張楊あたりは重用したはずなのですが・・w
さらに、劉備は中国の北の方である幽州の出身だと言う事を知っていたのか、自分も辺境の出身だといって親近感を持たせようと接近してくるわけです。
呂布が最初の養父であった丁原を殺害した事。
呂布を重用していた董卓を殺害した事で信用できない奴だと天下に認識されていました。
それにも関わらず劉備は親切に呂布の事を謙遜しながらも聞いていたのではないでしょうか?
そういう事もあり呂布は劉備の事を弟と呼んだのではないかと思います。
ちなみに、劉備の兄が呂布と言う事になれば、呂布、劉備、関羽、張飛の4人の義兄弟が誕生したのでしょうかw
しかし、劉備の兄が呂布という事になれば張飛は納得が行かないのではないかと思います。
多分ですが、張飛や関羽などは呂布の事が嫌いだったでしょうw
普通に考えれば養父などを平気で殺してしまうような、呂布を近辺に置くのは危険極まりない事ですし、呂布も嫌われて当たり前ですw
しかし、劉備は親切に呂布の話しを聞いてしまったのではないかと思います。
そういう負の感情を外に出さないのが劉備という男なのかも知れません。
その後、劉備は袁術と戦いに向かいますが、そこで張飛と曹豹が揉める曹豹事件もあり呂布に本拠地である下邳を奪い取られてしまいます。
ちなみに、呂布は劉備の事を弟と呼んだわけですが、弟がピンチの時に助けるどころか本拠地を取り上げてしまったわけですw
呂布が如何に恩知らずなのか分かる話でもあります。
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劉備が呂布を倒そうとするも
劉備は呂布に下邳を取られたという事が知られると、呂布を討伐するために動いています。
しかし、兵士が逃亡してしまい軍として崩壊してしまったようです。
前方では袁術が徐州を奪おうと攻撃しているわけですし、後方には反旗を翻した呂布がいます。
そういう事から兵士たちも逃亡してしまったのでしょう。
しかし、劉備はここで諦める事をせずに再び兵を終結させて広陵を奪取しています。
袁術は劉備が苦境に陥っている事をチャンスと考えて広陵に軍を送り込み劉備軍を壊滅させました。
この時に陶謙から劉備に徐州の主になるように進言した、麋竺が自分の財産を投げうって劉備を助けています。
しかし、富豪の力を以てしてもこの時の劉備は救えなかったらしく、兵士たちは殺し合って相手に肉を食べて飢えをしのいだそうです。
つまり、人肉を食べなきゃならない位、劉備は困窮していました。
ここにおいて劉備は呂布に降伏することを決意します。
袁術に降伏すれば斬られますが、呂布であれば斬られないと考えたのかも知れません。
呂布は劉備の降伏を受け入れて小沛を与えています。
呂布としてみれば、自分で劉備を苦境に陥らせておきながらも、困った劉備を救ってやったと自分の徳を讃えた可能性もありますw
劉備にとってみれば、この時に深い恨みを呂布に覚えた事は確かでしょう。
呂布は劉備は自分に感謝していると勘違いしている可能性がありますがw
呂布が劉備を救う
劉備が小沛に入った事を聞くと袁術は紀霊に攻撃を命じています。
紀霊の軍は3万いたようですが、劉備の兵士は僅かな兵士しかいなかったようです。
劉備は呂布に援軍を求めたわけですが、呂布はすぐに駆けつけています。
呂布は配下の陳宮や高順、張遼、臧覇辺りには紀霊を説得してくると言ったかも知れません。
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しかし、呂布の配下にしてみれば「お前にそれが出来るのか?」と心配だった可能性もあるでしょうw
呂布は紀霊と劉備を呼び寄せて仲裁を始めています。
戟の小さな分け目の部分に弓を当てる事が出来たら天意と考えて紀霊が軍を引く約束です。
かなり難易度が高い技なのですが、呂布は見事に成功しています。
紀霊は呂布の腕前を讃えて撤退しています。
不自然に思うのですが、紀霊はこれだけで撤退してしまって袁術から怒られなかったのでしょうか??
普通で考えれば、戦いもせずに呂布に仲裁されて何もせずに帰って来たら怒られても仕方がないはずです。
しかし、その後の紀霊は袁術が作った仲王朝において司徒(丞相)を続けているわけですから、上手く言い逃れをしたか、呂布が出てきたら引き上げる事になっていたのかも知れません。
その辺りは記録がないので謎です・・・。
しかし、呂布にとってみれば劉備を救ってやったという所だったのでしょう。
劉備は呂布を嫌っていたと思われるので、「これ位であの時の恨みをチャラにしたと思うなよ」という感じだったのかも知れませんw
この後の劉備の行動が好きだw
呂布にしてみれば多大な恩を劉備に与えたと得意の絶頂だった事でしょう。
しかし、この後の劉備が思わぬ行動に出ます。
何と兵士を集めだしたのですw
兵士の数は1万人を数えたと言いますから、呂布にとってみれば「こいつ一体なにを始めるんだ!」と言った状態だったのでしょうw
自分(呂布)を攻撃するとは限りませんが、明らかに変な行動を始めたわけですw
劉備としてみれば、1万人の兵士を集めたわけですから、どこかを攻撃する狙いがあったと思われますw
呂布にしてみれば、劉備は大人しく小沛を守っていて欲しかったようで、この行動を不審に感じます。
呂布は劉備の攻撃を決断して、攻撃を掛けると劉備軍は大敗してしまうわけですw
そして、劉備は西に逃げて曹操を頼っています・・。
この劉備の意味不明な行動が個人的には好きですw
呂布としてみれば助けてやったのに、お前一体なにしてんだ!という感じだったのでしょうw
劉備が憎めないのは、この辺りの行動にあるような気もしますw
呂布の最後と性格
呂布は後に、裏切りもあり曹操に捕らえられてしまうわけです。
曹操が処刑しようか自分の配下にしようか悩んでいるところもあったようです。
この時に劉備は曹操に「呂布が董卓と丁原にした事を忘れてはいけません」と進言しています。
呂布としてみれば、曹操が「うん」と言えば助かるところで、劉備が足を引っ張ったと考えたのでしょう。
この時に呂布が劉備に言った言葉が「こいつが一番信用出来ないんだぞ!」だったわけです。
確かに、劉備は戦場では死んだふりをしたり、妻子を捨てて逃亡したりしています。
さらに、長坂の戦いの前では住民たちに「我らと一緒に来たいものはついてこい!」と言っておきながら、曹操に追撃されると、一人猛ダッシュで逃げてしまうわけですw
そのため呂布が言っている事が全くのデタラメという事はないでしょうw
しかし、普通に考えれば劉備よりも呂布の方が遥かに信用できない奴だと思います。
劉備の場合は、逃亡はしても主君の首を持って相手に届けるなどの行為はしないためです。
尚、劉備の進言もあり曹操は我に返り呂布を処刑しています。
劉備にしてみれば、恨みが溜まっていると思うので「めでたし、めでたし」となったのかも知れませんw
関連記事:劉備の死んだふり事件についてwヒーローとしてあるまじき行為??
呂布の性格的な問題
呂布には、性格的な問題があると思いました。
呂布は受けた恩に対しては簡単に忘れてしまいますが、自分が施した事に対しては過大に評価する癖があるようです。
その性格もあり丁原や董卓を簡単に裏切って殺害してしまったのでしょう。
そして、劉備に対しては降伏を受け入れてやったとか、袁術の配下である紀霊に攻められた時は助けてやったなど、過大に評価したはずです。
さらに、劉備が呂布に下邳を奪われて苦境に陥り恨んでいるなどは考えもしなかったのかも知れません。
そういう性格であったために処刑される寸前で出た言葉が「こいつが一番信用出来ないんだぞ!」だったのではないでしょうか?
実際に呂布に聞いてみないと分かりませんが、自分はそのように感じています。
ちなみに、私は友達にするなら呂布よりも劉備の方がいいと感じていますw
関連記事:華雄は猛将ではなく呂布に翻弄された可哀そうな人だった!
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