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鄴攻め(ぎょうぜめ)が龐煖(ほうけん)の最後なのか?

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キングダムでは現在、秦の王翦将軍が鄴攻め(ぎょうぜめ)を行っています。

実は、史実だと龐煖(ほうけん)の最後の記録が鄴攻めです。

燕を荒らしまわった龐煖ですが、秦に隙を突かれてを攻められてしまい、援軍に行ったが間に合わなかった話です。

韓非子の飾邪篇に書かれています。

この記事を最後に、史実では龐煖が登場しなくなります。

史実では、悼襄王が亡くなって幽穆王が即位すると、趙は李牧を大将軍に任命して秦と戦わせています。

今回は、ぎょう攻めの予想と龐煖について記載してみようと思います。

もちろん、キングダムの予想も含めてのお話です。

 

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目次

悼襄王が亡くなり李牧が呼び戻される

悼襄王ですが、キングダムでは最低な暗君として描かれています。

「国がどうとか、民がどうとか、後のことなど知ったことか」という名言?まで残しています。

史実の趙の悼襄王が見れば「俺、こんな事、1回も言ってねえぞ!」「ひどすぎる(涙」となっても不思議ではありませんw

しかし、悼襄王は現在はこんなに元気ですが、史実だとこの年に亡くなります。

気がおかしくなってしまうのか、突然、病気になってしまうのか分かりませんが、キングダムの悼襄王の性格であれば、戦っている最中の李牧を自分を守らせると称して呼び戻してしまう可能性もあります。

それか、趙を滅ぼすのに多大な貢献?をした郭開が関係している可能性もあるでしょう。

郭開は太子嘉を廃嫡して、幽穆王(遷)を王位にしたいために、巧みに悼襄王を操るなどの行為があるかも知れません。

そして、趙の最後の王である幽穆王が現れるのではないでしょうか?

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悼襄王よりも、さらに酷い幽穆王を見て李牧は絶句する可能性も否定できませんw

 

 

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李牧と龐煖が交代する?

王翦と李牧は知力を振り絞って戦いますが、悼襄王が危篤の状態となり李牧を邯鄲(趙の都)に呼び寄せます。

しかし、王翦に対抗できるような人物は趙では李牧以外にはいないでしょう。

李牧自身も「自分がいなければ負ける」事はわかっているはずです。

しかし、王命であれば聞かないわけにもいきません。

そこで、李牧は龐煖を呼び寄せるという設定はどうでしょうか?

龐煖であれば、王翦とも渡り合える可能性はあります。

李牧は邯鄲に向かい代わりに、龐煖が王翦と戦うために戦場に向かいます。

ただし、龐煖は気ままに動いている場合が多いので、簡単に言う事を聞くかどうかは不明ですw

 

ぎょう攻めが龐煖の最後なのか?

龐煖は鄴を救いに行きますが、鄴は既に王翦達によって陥落されていました。

陥落させた後に、龐煖が登場して、秦軍の李信か羌瘣あたりに敗れて絶命するのかも知れません。

鄴の援軍に間に合わなかったのが、龐煖の最後の記述になるため、死亡してもおかしくはないと思っています。

個人的には、龐煖は好きなので、殺さないでいてくれるとありがたいですw

尚、龐煖はキングダムの中では、まだまだ若そうですが、史実ではかなりのお爺さんです。

武霊王、恵文王、孝成王、悼襄王に仕えた事になっています。

いつ死んでもおかしくない状態ですね。

王騎に矛を譲られた信によって倒される可能性も高いでしょう。

しかし、ここで死ぬには惜しい男だとおもうんですけどね・・・。

それと、もう一人の趙の名将である司馬尚の動向も気になるところです。

史実を考えてみれば、おじいちゃんの龐煖をバリバリの武神に仕立て上げて一騎打ちをさせるとか、かなり無理がある設定だと思いましたw

キングダムの場合は漫画だから許されてしまうのでしょうw

 

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