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摎(きょう)の史実・700年続いた周王朝を滅ぼした秦の将軍だった

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摎(きょう)の史実を紹介します。

摎の読み方ですが、一般的には「きょう」が多いですが「きゅう」と読まれる事もあります。

尚、摎はキングダムの設定では、戦神と言われた昭王の娘と言う設定になっています。

ただし、母親の身分が低かったために、娘と言う事は隠されて王騎の召使いとして育っています。

さらに、大将軍として100個の城を落とす事が出来たら「王騎」と結婚が出来るなどの話しもあり、秦の六大将軍の中でも非常にキャラが立つ存在です。

しかし、史実の摎を見る限りでは、女性ではなく男性だと思われます。

司馬遷の書いた史記などには、摎が女性だったとは、どこにも書いていないからです。

他にも、龐煖に討たれたなどの話しは、史書には無くキングダムのオリジナルの設定でしょう。

今回は、キングダムでも人気が高い女性キャラでもある摎を紹介します。

尚、摎の苗字は「楊」で「楊摎」だとする説も根強いです。

 

関連記事:秦の昭王を【戦神】と呼ぶには無理があると思った話【キングダム】

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韓を攻撃して陽城、負黍を取る

記録として、摎が初めて史書に登場するのが、紀元前256年に韓を攻めて陽城、負黍を取った記録です。

負黍と言うのは、土地や痩せていましたが要所でもあり、戦国時代の初期に韓が鄭を滅ぼす時に、拠点になった場所でもあります。

韓は鄭を滅ぼすと、鄭の都であった新鄭に遷都しています。

つまり、摎が韓の負黍を取った時点で、韓は滅亡が見えてきたと言えるでしょう。

韓も要所である負黍を取られてしまったら、どうなってしまうのかは分かっていたはずです。

それを考えると、韓も激しく抵抗をしたはずで、激戦地になった可能性も十分にあるでしょう。

陽城や負黍を取る戦いにおいて、西周君が秦を妨害したり、趙や魏なども韓を助けた形跡があります。

そのため、3晋(韓・魏・趙)の諸侯も負黍を秦に奪われる危機感があり、激しく抵抗した事が予想されます。

そういう中で、最後は摎将軍の活躍で、勝利したのではないかと思います。

尚、前年にあたる紀元前257年には、史上最強の名将とも言われてる白起が自刎しているわけです。

それを考えれば、摎の活躍は、秦の首脳陣をホッとさせた事でしょう。

 

 

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趙を攻めて20県を奪う

さらに、摎はこの年に趙を攻めて20県を奪ったとされています。

摎が趙の捕虜など9万人を斬首したという記録があるため、大戦果を挙げたとも言えます。

前年にあたる紀元前257年が王齕(おうこつ)が、趙の都である邯鄲を攻めて失敗した年ともされています。

司馬遷の書いた史記は、1年のずれが所々にあり紀元前256年が王齕が邯鄲を攻めて失敗した年になっている場合もあります。

それを考えると、王齕が邯鄲を攻略するのとは、別の秦軍として摎がいて趙を攻めた可能性もあるはずです。

さらに、王齕は邯鄲の攻略は失敗していますが、張唐と合流して魏の寧新中を攻め落とした記述もあります。

秦は、邯鄲だけではなく、趙の領土を多方面から攻めていたのではないか?とも考えられます。

ただし、史記の趙世家では、慶舎と楽乗が秦の信梁軍を破ったとする記述もあるわけです。

他にも、楚世家の記述で景陽(楚の将軍)が、趙の新中を助けて秦は兵を退いたとする記述もあります。

それを考慮すると、多方面から趙を攻めたが、摎の様に功績を挙げた将軍もいれば、信梁軍のように趙に敗れた秦軍もいたのでしょう。

信梁に関してですが、一説によると王齕と同一人物だとする説があります。

ただし、これに関しては信憑性が薄いと考える専門家も多数います。

 

 

 

秦が圧倒的な強国となっている

これらの記述を見ると、秦が圧倒的な力を持っていた事が分かります。

王齕に趙の都を囲ませたかと思えば、摎は韓の要地である負黍を落としているわけです。

さらに、張唐の軍も活躍しています。

これを見ると、秦の昭王も最後期の頃には、韓・魏・趙などを同時に相手にするだけの国力を秦が持っていた事が分かります。

周りと同盟を結んで各個撃破するのではなく、一軍は趙を攻めて、もう一軍は韓を攻めるなどが出来ているからです。

織田信長の最盛期の、方面軍と似たような状態だったのでしょう。

政(始皇帝)が即位する以前から、秦が6国(燕・魏・韓・趙・楚・斉)よりも遥かに大きな戦力を有していた事が分かる事例でもあります。

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西周を滅ぼす

当時の周王は赧王でしたが、西周の武公に養われていたようです。

赧王は、完全に名前だけの周王となっていました。

先に、摎が韓を攻めて陽城、負黍を取った話をしました。

この時に、西周の支配者である武公が、韓・魏・趙・楚などと合従の同盟を結ばせて、伊闕から出撃して秦を妨害したとされています。

摎は、昭王の命令により西周を攻撃しました。

すると、西周君(武公)は、西周の領土を全て秦に献上したわけです。

これにより、周の赧王も秦の支配下になったわけですが、直ぐに亡くなってしまったようです。

その後、赧王の跡を継ぐ者がいなかった事から、事実上の周王朝の滅亡と言えます。

赧王が最後の周王となるので、周を滅亡させた将軍は摎と言う事になります。

周は、周王朝の力が諸侯を上回っていた西周王朝や、形だけになっていた春秋戦国時代を合わせれば、700年以上も続きました。

その伝統ある周王朝を滅ぼしたのが、摎だとも言えるでしょう。

尚、僅かに東周(東周君の国)は残っていますが、東周には周王はいませんので、西周の滅亡を持って周は滅亡したと言えます。

紀元前256年は、圧倒的に摎が活躍した年で、この年だけを見ればキングダムで言う「六将の中で最も苛烈な攻めを得意とした将軍」という名に相応しいと言えるでしょう。

ただし、史実でも秦の考える事や摎が苛烈だったせいか、秦は周を滅ぼしたが西周の民は東方へ逃げたとあります。

これは秦の支配を嫌う人が多かった事の表れでもあるのかも知れません。

摎であっても、9万人斬首などをやっている為、殺されてしまうと思い民は東方へ逃げた可能性もあるでしょう。

 

 

 

魏を討つ

紀元前254年に、摎が魏の呉城を奪った記述があります。

これに関しては、魏が秦に入朝するのが遅れた為に、秦が魏を討った事になっています。

魏という国は、晋が韓・魏・趙に分裂した時から、秦に対して頭を下げる事を嫌っていたような国です。

そういう事もあり圧倒的に秦が力を持ったこの時代であっても、頭を下げたくなかったのかも知れません。

しかし、秦としてみれば、それが気に入らずに魏を攻めたのではないかと感じています。

ただし、魏は秦を嫌っていたはずですが、ついに頭を下げなくてはいけない状態になってしまった可能性もあるでしょう。

そうなると、秦に対して抵抗し続けてきた魏も凋落を迎えているような気がしてなりません。

どちらにしろ、紀元前254年に摎が魏を討って功績を挙げた事は事実でしょう。

尚、この記録が史実での摎の最後の記録となっています。

 

摎の子孫が楊端和だったのか?

自分が勝手に作ってしまった説なのですが、史実では摎の子孫が楊端和なのではないでしょうか?

摎は、1文字で史書には記録されていたりもしますが、性は「楊」だともされています。

すると、楊摎と言うのが、本名となります。

これだと、楊端和と摎は同姓と言う事になります。

秦の将軍で考えると、王翦→王賁→王離と3代続けて将軍となっているわけです。

他にも、蒙驁、蒙武、蒙恬と蒙家も3代続けて将軍になっています。

それを考えると、秦の将軍は家柄で継承している様にも見えます。

それを考えれば、昭王の時代に活躍した楊摎の子が、政(始皇帝)の時代に活躍した楊端和でもおかしくはないかな?と思うわけです。

もちろん、これは自分の勝手な想像ですが、子孫とまで行かなくても、一族だと言う事も十分に考えられると思いました。

ちなみに、楊端和はキングダムでは女性と言う事になっていますが、史実では摎と同じように男性の将軍であったと思われます。

 

摎の最後

摎の最後ですが、史記などにも記録が残っていないので、どうなったのかは分かりません。

しかし、龐煖に討たれたなどは、キングダムのオリジナルストーリーだと思われます。

趙との戦いにおいて、大戦果を挙げたにも関わらず、その後の戦いの実績が余りにも分からないのは、早世の天才だったのかな?と考えた事もありました。

新選組の沖田総司、三国志の呉の周瑜、漢の武帝時代の霍去病みたいな感じだったのかな?とも感じています。

秦は白起であっても自害させられてしまう程などで、摎も何かしらの問題で罪を問われてしまった可能性もあるでしょう。

他にも、出処進退などを考えて昭王が亡くなり、呂不韋の時代になる前に将軍を引退したとも考えられます。

この辺りは、資料が無いので分かりませんが、何とも言えません。

しかし、秦で大功を立てた将軍と言えそうです。

ちなみに、キングダムの摎ですが、可愛く描きすぎていると思うのは私だけでしょうかw

 

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