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呂不韋の史実の実績【まとめ】

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呂不韋の史実の実績をまとめてみました。

今までに自分が書いた呂不韋関係の記事をまとめたものです。

キングダムでも秦王政の最大のライバル?のような描き方をしています。

しかし、商人だった呂不韋がどのようにして、秦の王室と関係を持ったのかも解説しています。

尚、呂不韋と言えば呂不韋四柱と呼ばれる人たちがいますが、昌平君、李斯、蒙武、蔡沢が呂不韋派だったとする記録はありません。

あくまで漫画の中の設定です。

 

 

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奇貨居くべし

呂不韋は、趙に行ったときに異人を知ります。

異人は秦の公子にも関わらず、趙と秦の関係が冷え込んでいるため、冷遇されていたわけです。

異人を見た呂不韋は「奇貨居くべし」と考えたようです。

つまり、異人は非常に珍しい品物だ。これは上手くやれば莫大な財産を作る事が出来ると考えました。

冷遇されていた異人の方も呂不韋の話しに乗り秦王への道を目指す事になります。

孝文王の寵愛している夫人である華陽夫人の養子として、異人を送り出す事を考えました。

 

関連記事:呂不韋と奇貨居くべし【安く買って高く売った男】

 

呂不韋と始皇帝は親子だった?

秦の公子である異人に呂不韋は仕える事になったのですが、異人が呂不韋の妾を気に入り自分に欲しいと言い出します。

呂不韋は渡したくないと思いますが、ここで拒めば今までの苦労が水の泡です。

そこで、異人に自分の妾である趙姫を送り出しました。

趙姫が後に産んだ子供が秦王政(始皇帝)です。

ただし、元々は呂不韋の妾だった事もあり秦王政の本当の父親は呂不韋ではないか?とも言われています。

実際に、当時からそういう噂はあったようで司馬遷はその事を史記に記載しています。

 

関連記事:呂不韋の子が秦王政(始皇帝)だった?【史記にも記載アリ】

 

 

 

呂不韋が秦の宰相になる

異人は華陽夫人の養子となり名前を子楚と改めます。

さらに、父親である孝文王が即位後3日で亡くなってしまった為に、秦王の位に就く事になりました。

子楚は荘襄王となるわけですが、呂不韋の功績を認めて丞相に任命しています。

しかし、荘襄王は即位後わずか3年で亡くなってしまいました。

政が秦王になると、呂不韋は仲父と呼ばれ相国に任命されています。

これにより呂不韋は秦の武官・文官において最上級の位になったわけです。

史実の呂不韋が如何にして、出世したのかがわかる事でしょう。

 

関連記事:呂不韋が丞相及び相国となり秦の実権を握る【仲父の誕生】

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呂氏春秋が完成する

呂不韋は秦で丞相になると文化事業にも乗り出しています。

史実の呂不韋は、様々な学者などを集めて、中国最初の百貨辞典というべき呂氏春秋を完成したわけです。

さらに、呂氏春秋を市場で公表して1字でも添削が出来たら千金を与えると御触れを出します。

これが後に1字千金と呼ばれる事になります。

尚、呂氏春秋は未だに現存していて、日本でも翻訳されていて読む事が出来ます。

実際に、私も読んでみましたが、世の中の色々な考え方を学ぶ事が出来ると思いました。

また、物語としても短編小説のように楽しむ事が出来ます。

 

関連記事:呂氏春秋・・・呂不韋の願いは始皇帝に通じず・・・。

 

嫪毐の乱で失脚

荘襄王が亡くなると欲求不満になった趙姫(美姫)は、呂不韋と肉体関係を再開します。

しかし、呂不韋の方は事が公になる事を恐れて、巨根で有名な嫪毐を宦官に仕立てて趙姫に送り込みます。

趙姫は嫪毐を気に入り、嫪毐もとんとん拍子で出世していくわけです。

秦において呂不韋と嫪毐は2大勢力となっていきます。

しかし、嫪毐は王位を狙ったのか乱を起こす事になります。

史実の趙姫の最後などと共に書いたお話しです。

 

関連記事:嫪毐(ろうあい)の乱と呂不韋の失脚・趙姫の最後を解説!

 

呂不韋の子孫が皇帝になる

呂不韋の最後は、失脚後に蜀に流される途中で自害して終わりました。

しかし、呂不韋の子孫である呂公は娘の呂雉を劉邦に嫁がせています。

劉邦は後に項羽と共に秦を滅ぼす事になります。

さらに、ライバルの項羽を破り天下統一して皇帝となります。

劉邦が亡くなると漢は2代目皇帝として恵帝が立つわけですが、恵帝は劉邦と呂后(呂雉)の子であるため、史実で呂不韋の子孫が皇帝になった事になります。

しかし、政治の実権は呂后が握っていて、史記では呂后本紀があります。

さらに、三国志にも呂不韋の子孫は登場しています。

呂不韋の子孫がどのようになったのかのお話しです。

 

関連記事:呂不韋の最後と子孫は秦を滅ぼし帝王となる?

 

呂不韋の史実を見てみると

呂不韋の史実を見てみると多くの人と交わった事が分かりますし、中央集権国家などは余り考えていなかったのかも知れません。

その辺りが成長した秦王政と対立する要因になっているのでしょう。

呂不韋としてみれば、秦王政には独裁者ではなく徳を治めた人物になって欲しいと思っていたのかも知れません。

中央集権国家や厳しい法律による統制では秦は長続きはしないと見込んだ可能性もあります。

しかし、一介の商人が最強国である秦の丞相になってしまう事を考えれば卓越した能力を持った人物と言えそうです。

ただし、趙姫などとのスキャンダルなど、脇が甘い所もあるような気がしますw

リアルの呂不韋は案外面白い人なのかも知れません。

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