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呂不韋が丞相及び相国となり秦の実権を握る【仲父の誕生】

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呂不韋は子楚(異人)を補佐する事で、秦において高位に就く事になります。

丞相となり、最後には人民において最高位である相国に就任するわけです。

さらに、秦王政からは仲父とまで言われています。

呂不韋がどのようにして、秦でのし上がる事が出来たのか解説します。

尚、秦王政の出生の秘密や奇貨居くべしの記事を読んでいる事を前提に記事にしています。

 

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関連記事:呂不韋の子が秦王政(始皇帝)だった?【史記にも記載アリ】

 

 

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子楚が秦王となる

秦において56年の長きにわたって王位にあった昭王がついに亡くなります。

これにより公子柱が孝文王となり即位しますが、わずか3日で亡くなってしまいます。

これにより子楚があっという間に、秦王となりました。

子楚は荘襄王となるわけですが、呂不韋としても突然すぎてビックリした事でしょう。

普通で考えれば子楚は何年か太子として過ごし、王位になるものだと思っていたはずです。

孝文王が余りにも早く亡くなってしまった為に、呂不韋による暗殺説を考える人もいるようです。

しかし、呂不韋が孝文王を暗殺したなどの記録は資料として残っていません。

孝文王が死んだ時に、既に太子として子楚が指名されていた為に、秦では後継者争いが起きずにスムーズに世代交代を成されています。

ここで秦が後継者争いで混乱してくれれば他の6国(斉・燕・趙・魏・韓・楚)は盛り返しのチャンスが訪れたわけですが、そうはなりませんでした。

荘襄王は即位すると、恩人である呂不韋を丞相に指名しています。

当時の秦では丞相が最高位だった為に、呂不韋はついに秦での最高権力者にもなったわけです。

ここにおいて呂不韋の「奇貨居くべし」の計画は成就される事になりました。

 

 

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荘襄王がわずか3年で亡くなる

荘襄王が即位した後ですが、この時にも国難が起きています。

邯鄲の戦い以降は、魏の信陵君は趙に居候していたわけですが、魏の安釐王の要請により魏に帰国したわけです。

安釐王は信陵君を上将軍に任命します。

信陵君は自分が上将軍に任命された事を諸侯に通達した事で、秦に対して合従軍を起こすわけです。

信陵君は、魏・趙・韓・燕・楚の五カ国連合軍を率いて秦に攻め込みます。

秦では蒙驁を将軍として、信陵君と戦わせていますが、黄河の外で敗れています。

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さらに、信陵君は函谷関の前まで押し寄せてきました。

秦にとっては手痛い敗戦を味わったわけです。

尚、信陵君主導による合従軍の敗戦をキングダムでは全く扱われていません。

春申君主導の合従軍に関しては、大きく扱われていますが、秦にとっての脅威は信陵君の合従軍だったはずです。

そこが残念に感じました。

信陵君が攻めて来た年に荘襄王は突然亡くなってしまいます。

即位してからわずか3年で亡くなってしまったのです。

孝文王も突然死しましたし、荘襄王も突然亡くなってしまった事で呂不韋としてみてもかなり驚いた事でしょう。

 

関連記事:函谷関の戦いの史実【最後の合従軍】

関連記事:合従軍の弱点とは?

 

秦王政が亡くなると相国になるが趙姫との関係が問題に

荘襄王が亡くなると秦王政が王位に就く事になります。

秦王政はこの時にまだ年齢が13歳だった事もあり実権は呂不韋が握っていました。

秦にとって脅威である信陵君は、魏の安釐王に疑われて失脚してしまいます。

秦の首脳陣は信陵君と安釐王の離間策を取ったわけですが、もしかして考えたのは呂不韋だったのかも知れません。

呂不韋は荘襄王が亡くなると相国に任命されています。

相国というのは丞相と役目は同じですが、位を高くした名誉職のようなものです。

秦王政も呂不韋に対して敬意を払い仲父とまで呼んでいます。

自分の父親に匹敵する人物と敬意を表したわけです。

さらに、呂不韋は文化事業にも乗り出し呂氏春秋を完成させたり、戦国四君のように食客を3000人集めたりと莫大な財力と権力を手中に収める事になります。

しかし、呂不韋二も泣き所があったわけです。

それが、趙姫との関係です。

荘襄王が亡くなると、趙姫は呂不韋の所に毎晩訪れるようになります。

呂不韋としてみては、既に趙姫に興味もなく困った存在だったわけです。

しかし、今の趙姫は秦王政の母親であり大后でもあり、邪険に扱う事も出来ません。

呂不韋は秦の丞相や相国などの権力を手中に治めながらも泣き所があった事で、後でどんでん返しになるわけです。

史記で司馬遷が評価した様に「有名だが行いが芳しくない」と言われてしまう事にもなります。

ちなみに、趙姫に関しては自分の代わりの男を用意して縁を切るようにしています。

尚、代わりの男が巨根の嫪毐(ろうあい)です。

これが後に災いになってしまうわけですがw

変な火遊びが過ぎたというべきでしょう・・・。

 

呂不韋の記事一覧:呂不韋の史実の実績【まとめ】

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