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呂不韋はキングダムの世界では秦王政(後の始皇帝)の権力闘争の最大のライバルとして描かれています。
大臣達は呂不韋派になるか、大王派になるのかで右往左往しているわけです。
今回は史実の呂不韋を見ていくわけですが、秦王政は呂不韋がいなければ王位に就く事は出来なかったでしょう。
生まれたとしても、他国への人質などで冷遇されていた可能性も高いです。
商人出身の呂不韋がどのようにして、王侯を建てる事が出来たのか解説します。
キーワードになるのは「奇貨居くべし」という言葉です。
ちなみに、歴史小説家である宮城谷昌光さんは呂不韋を主人公にした歴史小説を書かれています。
その小説のタイトルが「奇貨居くべし」にしてあるのは興味深いと思いました。
ちなみに、奇貨居くべしの意味は珍しい物を買っておけば、後で莫大な財産になるという意味合いで使われる言葉です。
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呂不韋は商人出身
呂不韋と言うと秦の権力を握っている事から貴族の出身だと思っているかも知れません。
しかし、史実の呂不韋を見ると貴族ではなく商人出身です。
ちなみに、呂不韋の出身地は史記の呂不韋伝では韓の陽翟という事になっていますが、戦国策では衛の濮陽と言う事になっています。
このため出身地ははっきりしていませんが、商売でかなり儲けていたようで大商人だったという事は確かなようです。
呂不韋は時期を見るのが上手く安い時に買い高い時に売って富を得たと言います。
現代に呂不韋が生きていたとしたら株、FX,ビットコインなどのトレードで莫大な富を得ていたかも知れませんw
ただし、ここまでの呂不韋の生活を見ると富は得ていたようですが、秦王室とは全く無関係の生活をしています。
秦の公子異人を知る
秦の昭王の40年に魏に人質に行っていた悼太子が亡くなってしまいます。
昭王の寿命が長かった事もあり、子である悼太子の方が先に死んでしまったとも言えます。
尚、ここで興味深いのが強国秦であっても、太子が他国に人質に行っている点でしょう。
悼太子が亡くなった事で秦の王位継承順位が変わる事になります。
代わりに太子に建てられたのが公子柱(後の孝文王)です。
公子柱は子福者で生涯に子供の数が20余人もいたとされています。
その中の一人が、異人といい後の始皇帝の父となる男です。
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呂不韋が異人の世話をする
異人は公子柱の子ではありましたが、長男でもなく趙に人質に出されていました。
当時の秦と趙は、険悪な仲でした。
趙奢が胡傷を閼与の戦いで破った為です。
もちろん、趙と秦の仲が冷え切っている事から人質である異人は趙で冷遇されていました。
王族でありながら豊かな生活を送る事も出来ずにいたようです。
呂不韋が趙を訪れた時に、異人の存在を知ります。
関連記事:趙奢の史実での実績を完全網羅してみた。【閼与の戦いも検証】
関連記事:胡傷が軍略の天才に見えない件!史実の実績を見て思った
奇貨居くべし
呂不韋は異人を見た時に、お金の匂いがを感じ取ったようです。
「奇貨居くべし」と感じ取ったわけです。
現在の異人は珍しい品物で、安売りの最中だと思ったわけです。
呂不韋は異人はいずれ化ける可能性があると踏んでいました。
異人を知った呂不韋が父親の元に帰り話した問答が残っています。
呂不韋「畑を耕す事で得られる利益は幾倍ですか?」
父親「10倍だ」
呂不韋「珠玉から得られる利益は何倍ですか?」
父親「100倍だ」
呂不韋「国家の主を立てた場合の利益は何倍ですか?」
父親「数え切れぬほど膨大だ」
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この問答が終ると呂不韋は父親に異人の事を話をして、自分は異人の家来となり補佐する事を宣言します。
呂不韋が異人に仕える
呂不韋は異人に仕える事にしました。
呂不韋は商人として蓄えたお金がありましたから、それを異人の為に使う事にします。
異人の方も趙にこのまま人質としていても、冷遇されて朽ちるだけである事を理解していたのか、呂不韋を信じる事にしたようです。
呂不韋は異人の名声を高めるために、趙の名士たちと交わりを結べるように仕向けました。
異人も名声を上げるために、行いを注意したりする努力をしたようです。
ここでよく見られなければ、異人は奇貨居くべしとはならない事から呂不韋も必死だったでしょう。
さらに、公子柱に新たなる太子が発表される前に、異人を仕立ててて秦に売り込まなければなりません。
呂不韋が補佐する異人が秦王の後継者になれるのかは時間との戦いでもありました。
華陽夫人に目を付ける
太子となった公子柱の正夫人は華陽夫人と言います。
賢さを公子柱に認められて正夫人になったわけです。
しかし、公子柱には子供が沢山いましたが、華陽夫人との間には子供が一人もいませんでした。
公子柱が秦王になれば華陽夫人は后となるわけですが、子供がいない華陽夫人は心配でなりません。
公子柱が突然亡くなってしまった場合も、今の生活を維持できる保証もないわけです。
特に女性の場合は、美貌が衰えると寵愛を失う事も多いため華陽夫人は身の安泰も考えていました。
その華陽夫人に目を付けたのが呂不韋です。
呂不韋は華陽夫人と話をしたいと思い弟である陽泉君に面会をします。
そして、華陽夫人と自分が会ってくれるように依頼したようです。
陽泉君も自分の地位を不安に思ったのか呂不韋と華陽夫人を引き合わせました。
そこで、呂不韋は華陽夫人に対して異人を養子として迎える事を提案します。
この案に華陽夫人も乗り公子柱に自分の養子に異人を迎えたいと懇願したわけです。
公子柱も趙にいる異人に対して調べを入れるわけですが、交わっている人物に趙の名士が多く驚くわけです。
公子柱は自分の後継者を決めていなかった事もあり異人を太子にする事にします。
さらに、呂不韋は異人の傳役に指名されています。
このようにして、呂不韋は異人という「奇貨」を秦に売りつけたわけです。
安く買って高く売るはビジネスの基本だと思う
呂不韋は商人だったわけですが、そのせいか相場を見るのがかなり上手かったような気がします。
ビジネスの基本は安く買って高く売る事でしょう。
常にそういう見方で世の中を見ていたからこそ、異人が金になると言う事を判断したと思いました。
尚、越の范蠡は大臣から商人になったわけですが、呂不韋は逆に商人から大臣になったわけです。
王様を立てる事が出来れば確かに莫大な富を得る事が出来る事は間違いありません。
しかし、他の大臣との権力闘争などもあるわけですし、デメリットも数多くあるわけです。
物事を考える時は、出処進退も心がけた方がいいかなと思いました。
范蠡や范雎・蔡沢のように引くべき時は身を引くべきでしょう。
尚、秦王政は呂不韋の子だとする説がありますが、そちらも解説しますw
実際に、史記にも載っている隠し子説です。
関連記事:呂不韋の子が秦王政(始皇帝)だった?【史記にも記載アリ】
呂不韋の記事一覧:呂不韋の史実の実績【まとめ】
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