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信陵君は戦国四君の中でも最強の男とも呼ばれています。
魏の安釐王(あんき王)の弟で食客を3000人集めた事でも有名です。
史記などでは、司馬遷も信陵君の事を尊敬していたのか、悪い事はほとんど書かれていません。
始皇帝や漢の高祖劉邦も尊敬していたようです。
今回は、信陵君は魏王に警戒されてしまうわけですが、なぜ警戒されてしまったのかを紹介します。
その点、王翦などは秦王政に疑われないように、かなり気を使っている事が分かります。
信陵君はキングダムでは名前くらいしか登場しないのが残念に感じました。
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情報通だから警戒された?
魏の安釐王と信陵君は「すごろく」で遊んでいました。
もちろん、子供が遊ぶような「すごろく」ではなく、当時の王様や貴族が遊ぶようなゲームの事を指します。
その時に、趙との国境の方から狼煙が上がります。
これを見た安釐王は驚き、宮廷に重臣を集めて対策を練ろうと考えました。
つまり、安釐王から見ると、趙が魏に突然攻め込んでくると考えたようです。
しかし、信陵君は涼しい顔で「趙王が鷹狩りをするだけです。ご心配なさらぬように!」といいゲームを続ける事を促します。
安釐王としてみれば、慌ててしまってゲームに集中する事も出来ません。
その後、安釐王の元に伝令が入り趙王の鷹狩りだった事が判明します。
安釐王は不思議に思い信陵君に問いただしました。
すると信陵君は「私の食客の中で趙王の秘密を知り尽くしている男がいます。もし趙で何かあれば私の所に知らせてくれるようになっているのです」
この様に答えたと言います。
魏の安釐王は、信陵君がやり手で情報源を持っている事に恐怖を感じてしまい、それ以来、政治の中心から信陵君を外してしまいました。
情報通振ると警戒されてしまう危険性があるという話です。
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誰を宰相にするかで国の発展が決まる
春秋戦国時代を見ると、様々な君主と宰相のタッグ?があった事が分かります。
斉の桓公と管仲、晋の重耳と狐偃、秦の穆公と百里奚、楚の荘王と孫叔敖、鄭の簡公と子産などは、君主と宰相のバランスがよく国は大発展しています。
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それに対して、宋襄の仁で有名な宋襄公と目夷はお互いに良い所はあるけど、イマイチ力を発揮できなかった印象があります。
安釐王と信陵君ですが、安釐王が信陵君を恐れ過ぎた為に、力を発揮てきていない印象です。
安釐王と信陵君が、豊臣秀吉と豊臣秀頼の関係になれなかったのが残念に思いました。
最初から信陵君に全て国政を任せていれば、また違った展開があったのかも知れません。
王様の大事な仕事は、誰を国政の中心に置くか?と言う事でしょう。
尚、秦の二世皇帝・胡亥は、趙高に政治を任せた為に、秦は内部崩壊して楚の項羽に滅ぼされています。
趙の幽穆王も郭開を言葉を信じて李牧を処刑した為に、趙は王翦に敗れ滅亡しています。
さらに、言えば秦の商鞅は孝公が生きている間は、やりたい放題でしたが、孝公が亡くなると貴族たちに反乱を起こされて処刑されています。
楚の呉起も同じように王様が亡くなると殺されているのです。
それを考えると、ボケ老人の振りをして国を奪い取ってしまった司馬懿が一番賢いのかな?とも思ってしまいます。
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信陵君にも疑われても仕方がない部分もある
信陵君も疑われても仕方がない部分もないとは言えません。
信陵君が平原君の依頼で、趙を救った時は、国軍の指揮権を詐欺?的な行為で奪っているからですw
やってしまうと、王様としては困るわけで、信陵君にも原因があったのかなとは思いました。
それと、信陵君は人柄が素晴らしかったようで、国民の信陵君人気も警戒される一因だったのでしょう。
韓非子にも色々と書かれていたりしますが、君主と臣下の関係は非常に難しいと言える事だと思います。
しかし、優秀な宰相を得ると大きく国力を伸張する事は間違いないでしょう。
あと、主君というのは、斉の桓公や晋の文公である重耳のように、ちょっとした鈍さがあった方がよいかも知れませんね。
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