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魯粛のまとめ【豪胆で絶妙なバランス感覚の持ち主だった】

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魯粛の記事を色々と書いてきましたが、ここらでまとめの記事を書く事にします。

魯粛のお話をしようと思ったきっかけですが、三国志演義やレッドクリフなどのお人好しの人物を覆したくて書いたのが大きいです。

ここから先は、時系列に解説しますが、「情けない」「かわいい」「お人好し」などの言葉は史実の魯粛には似合わないでしょうw

戦略家であり名外交官だと思った方が自然です。

 

魯粛が史書に登場する

魯粛が史書に登場するはじめは、周瑜が数百人の部下を連れて魯粛の元を訪れた事から始まります。

魯粛は地元の豪族で大富豪でもありました。

しかし、魯家のキチガイとか出来損ないと後ろ指を刺されていました。

もちろん、稼業を放り出して私兵を集め軍事訓練を独自に行ってしまうわけですから、近所の人からみれば「頭がおかしくなった」と思われても仕方がないのかも知れませんw

しかし、魯粛にしてみれば後漢王朝の末期となり黄巾の乱や董卓の台頭など世の中は不安要素に包まれていました。

それを考えると、財産を投げうって名士と交わる魯粛は優れた先見の明を持っていた事が分かります。

魯粛と周瑜があった時も、魯粛は米蔵の半分を周瑜に与えて気前の良さを見せています。

 

関連記事:魯粛と周瑜【魯粛は決して怒られ役ではない】

 

 

赤壁の戦いで決戦を主張

魯粛は、周瑜の勧めもあり孫策に仕える事になります。

残念ながら。孫策の元では食客程度の役割しか与えられなかったようです。

しかし、孫策が暗殺され、孫権が呉の君主になると語り合い多いの気に入っています。

尚、この時に魯粛は劉曄に誘われて魏に行く事も考えたようですが、周瑜に説得されて呉に残っています。

その後、曹操は荊州を取り呉に圧力を掛けてきます。

呉の群臣では降伏論が盛んでした。

しかし、魯粛だけは戦う事を主張して周瑜を召喚して開戦に踏み切ります。

赤壁の戦いは周瑜の活躍もあり呉軍が勝ちました。

魯粛が呉にいなかったら曹操に降伏していた可能性もあっただけに、魯粛の言動が重みを増したはずです。

 

関連記事:魯粛【赤壁の戦い勝利の大立役者】

 

魯粛が周瑜の後継者になる

周瑜は赤壁の戦いの後に、江陵を曹仁から奪取します。

その後、益州を呉の物にしようとして、遠征を計画しますが、その最中で亡くなっています。

周瑜は遺書を書き自分の後継者を魯粛にするように指名しました。

さらに、劉備を虎狼の心を持っているとして、心を許してはならないと言っています。

しかし、孫権は周瑜の遺言をちゃんと実行しませんでした、そのためにちょっとした悲劇が起こる事になります。

もし、周瑜の事を聞いていたら、天下は魏と呉の二つに分かれていたかも知れません。

 

関連記事:周瑜の遺言を聞かなかった孫権・・・。

 

呉下の阿蒙に非ず

魯粛は周瑜の後任として認知に赴く事になりました。

途中で呂蒙に招かれて会う事になったのですが、呂蒙は武芸だけの暴れん坊と認識されていました。

しかし、魯粛は会ってみると戦略的な知将に変わった呂蒙を見てビックリします。

さらに、家族ぐるみの付き合いをしたいと言ったほどです。

後に、魯粛の後継者となる呂蒙がどのように変わったのかを紹介します。

 

関連記事:【呉下の阿蒙に非ず】呂蒙が武将から知将に覚醒する

 

単刀赴会

荊州を巡って劉備と孫権が争います。

劉備が孫権に荊州を返さなかった事が原因です。

劉備側の代表である関羽と魯粛が会議を行います。

世に言う単刀赴会です。

刀1本持つだけで会見を行いますが、三国志演義では関羽の見せ場になっています。

しかし、史実では魯粛が終始優勢で事を進めていました。

魯粛は劉備に領土の一部を返還させています。

魯粛は劉備の敵意が呉に向かない様に配慮した外交を行っているのです。

絶妙なバランス感覚の外交を紹介します。

 

関連記事:魯粛と関羽の会談【勝ち過ぎはよくない】と言う事。

 

魯粛の最後や子孫について

魯粛は217年に惜しくも亡くなっています。

どのような死に方だったのかや、魯粛の後を引き継ぐ厳畯と呂蒙についての簡単な解説もしました。

さらに、息子である魯淑は名臣だった事や魯粛のご先祖様の事まで考えてみました。

空想によるところが多いかと思いますが、読んでみる価値はあるでしょう。

 

関連記事:魯粛の最後と子孫のお話!【息子魯淑も名臣だった】

 

おまけ:魯粛はなぜ可愛く感じるのか?

羅貫中が書いた三国志演義は史実が6、空想が4だと言われています。

しかし、魯粛に関しては、半分以上が嘘だと言えるような状態ですw

周瑜には「外交の才能がゼロで無能」とも評価されているわけです。

それでも、魯粛は周瑜に怒られたり諸葛亮に利用されながらも健気?に頑張っているわけです。

三国志演義の中で魯粛がなぜ可愛いと母性本能をくすぐるのかを分析してみました。

結論でえれば怒られながらも頑張ってやっているからでしょうw

 

関連記事:魯粛が可愛いとか可哀想と思える理由【頑張っている奴はカッコいい】

 

魯粛のお話を書きたかった理由

魯粛の記事を書きたかった理由ですが、最初にもチラッと書きましたが、名誉挽回してもらいたかったからです。

横山光輝さんの漫画や吉川英治さんの三国志などでは扱いが酷すぎるなと感じたからです。

それは周瑜にも言える事ですが、呉の武将ってゲームなどでも過小評価されがちだと感じています。

魯粛は、知力などは高めに設定されていますが、お話の中では史実とかけ離れた人物像として描かれています。

そこが残念に感じて、本来の豪胆でカッコいい魯粛を紹介出来たらなと思って書いたわけです。

もちろん、太史慈や孫策のような派手な一騎打ちもありませんが、絶妙な外交感覚と、内政により呉の方向性を見失わなかった事は評価出来ると感じています。

 

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