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三国志・キングダム「春秋戦国時代」と日本の政治経済【俺の歴史書】

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魯粛と周瑜【魯粛は決して怒られ役ではない】

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魯粛と周瑜というと、どのようなイメージがあるでしょうか?

人によっては、上司の周瑜に怒られてばかりの人とかそういうイメージもあるかと思います。

赤壁の戦いを舞台にした映画レッドクリフですと、主人公の周瑜がカッコよく描かれていますが、魯粛はお人よしとか、翻弄されやすい人のような雰囲気で描かれていました。

しかし、実際の周瑜と魯粛を見ると、二人は信頼しあっていますし、決して魯粛は気弱な男ではありません。

むしろ、魯粛は豪胆な人物です。

今回は、周瑜とのエピソードなどを中心に魯粛について考えてみました。

 

魯粛は気が強い

魯粛は主に三国志演義によって、気が弱くてお人好しな人物になってしまっています。

上司の周瑜と諸葛孔明の間で翻弄する姿は、ある意味、母性本能?をくすぐるのか、可愛らしさすらあります。

しかし、実際の魯粛は剣術・馬術・弓術に優れていて、武芸も得意であったようです。

さらに、私兵を集めてみたりして、独自に軍事訓練を行っていた記録もあります。

他にも、常人では思いもよらぬ企画を練ったりして周囲の人を驚かせた記録もあるくらいです。

ただし、武辺一辺倒の人ではなく如何なる時も書物を離さなかったとあるので、文武両道だった事が分かります。

ちなみに、魯粛の地元の人達は魯粛の事を「魯家のキチガイ」と呼んでいたそうですw

流石に、私兵を集めたり独自で軍事訓練をしたり狩猟をしたりしていたら、そう思われても不思議はありませんw

しかし、魯粛にも転機が訪れます

 

周瑜が魯粛に支援を求めて来る

周瑜は、袁術からの士官を嫌い孫策の元に帰ろうと考えていました。

孫策のいる呉に近い居巣の県長に就任します。

県長になっておいて、そこから江を渡り呉に帰ろうという寸法です。

しかし、その時に孫策に手土産をしたいと考えていたのでしょう。

その時に、周瑜の耳に魯粛の噂が入ってきます。

魯粛は大富豪で風貌魅偉ではあるが、稼業はせずに馬術・剣術・弓矢などを好み、貧しい人には財貨をばらまき独自で軍事訓練を行っている噂です。

もちろん、「魯家のキチガイ」とか「出来損ない息子」の噂を聞いて立ち寄る事にしましたw

周瑜も魯粛を警戒したのか、部下を数百人連れて面会に訪れたようですw

 

周瑜が魯粛に挨拶をする

周瑜が魯粛に挨拶をして、さらに資金の援助や食料の援助を依頼しました。

すると、魯粛は米蔵の1つを指して、「全てもってけ」と言ったそうです。

魯粛の家には当時、米蔵が二つあり、そのうちの一つを周瑜に援助した事になります。

財産の半分に匹敵する物を周瑜に提供したわけです。

この時に、周瑜は魯粛の非凡さを見抜いたのでしょう。

そして、親しい交わりを結びました。

周瑜に取ってみれば、魯粛が一番の孫策への手土産になると考えたのかも知れません。

周瑜の方も魯粛が後に頭角を現して自分の後継者になるとは思ってもみなかったでしょう。

 

魯粛は決して怒られ役ではない

これが魯粛と周瑜の出会いのなるのですが、魯粛は大富豪ですし、どちらかと言えば豪快な人物です。

当たりまえですが、気が弱い人物ではありませんし、むしろ気は強く任侠の人でもあるのでしょう。

この魯粛を怒られ役にしてしまう、三国志演義の羅貫中の考えはイマイチわかりませんw

三国志演義などでは、気が弱く波風立てない人に思うかも知れませんが、事実の魯粛とは異なっています。

後に魯粛も袁術の士官を嫌い呉に身を寄せるわけですが、そこで孫権に対しても物怖じしない態度で接しています。

もちろん、こうした態度は呉の張昭などの重臣と軋轢を生んだ話もありますが、それほど自分の意見をしっかりと持ち貫き通そうとしたわけです。

周瑜との関係も決して怒られ役ではありません。

 

魯粛が出来が悪かったら周瑜も後継者にしない

魯粛が軟弱でお人好しで出来が悪い人物であれば周瑜も魯粛を後継者にしなかったでしょう。

魯粛の頭の良さや考え方などを認めていた為に後継者に指名したはずです。

ちなみに、魯粛は孫権も大いに気に入っていましたし、赤壁の戦いでも主戦派は魯粛と周瑜くらいしかいませんでした。

そのため、魯粛は赤壁の戦いが終わると、魯粛の発言は重みが増し群臣の中でも、周瑜の後継者は魯粛だという雰囲気が流れていたのかも知れません。

周瑜が推薦しなくても、魯粛が後任は決まっていた可能性も高いです。

尚、魯粛は劉備と同盟して曹操に当たるというビジョンを持っていましたし、それを貫き通した人でもあります。

 

優秀なタイプにも二つある

活躍する人には、2つのタイプがあるように思えます。

周瑜などの様に周りの人から優秀だと声明を得ているタイプと魯粛のような「出来損ない」と言われていますが、後に活躍するタイプです。

織田信長や長曾我部元親なども「出来損ないから出来る人になった」と言えるでしょう。

長宗我部元親は、「姫若子」と呼ばれて軟弱な人だと思われていましたが、いざ戦いになると活躍して最終的には「土佐の出来人」と呼ばれています。

乱世のなると「出来損ない」とか「うつけ」と呼ばれる人の方が活躍出来るのかも知れませんね。

ちなみに、私も出来損ないと呼ばれている方ですw

未だに活躍出来てませんがw

 

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