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劉繇が太史慈を使わなかったのは、許劭が原因だった

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劉繇は太史慈を重用しなかったのですが、原因は許劭にあったようです。

尚、劉繇といえば人材を活用できずに、敗れ去った群雄に思うかも知れませんが、正史では粘り強く戦っています。

ただし、袁術とは互角でしたが、孫策が出てくると破れてしまいますが・・・。

 

劉繇が太史慈を使わなかったのは、許劭が原因だった

劉繇が太史慈を使わなかったのは、許劭が原因です。

許劭という名前に、見覚えがある三国志ファンは多いのではないでしょうか?

許劭は、人相を視る達人で、曹操に向かって「治世の能臣、乱世の奸雄」と評価した事で有名な人です。

許劭は洛陽辺りにいる占い師だと思っている人もいるのですが、太史慈が劉繇の下にいた頃は、許劭も劉繇と行動を共にしています。

許劭の人物批評のターゲットが太史慈になるのですが、批判的な評価をしました。

それを劉繇が気にして、太史慈を重用しなっかったわけです。

この場合は、太史慈は許劭がいる限り頑張っても評価される事はなかったでしょう。

そもそも活躍の場も与えられないわけですから・・・。

当時、太史慈は孔融を救った話が広まっていて、大将軍に任命して孫策と戦わせるプランもあったのですが、許劭を気にした劉繇によって実現しませんでした。

 

 

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太史慈を大将軍にしてれば孫策に勝った?

太史慈を大将軍にしていれば、孫策に勝てたのか?ですが、こればかりは分からないとしか言いようがないでしょう。

孫策は、丹陽太守を名乗った太史慈と戦いますが、これを難なく打ち破っています。

 

関連記事:太史慈・丹陽太守を【詐称】し孫策と戦う

 

兵力差などは分かりませんが、孫策の方が軍隊の指揮などになると一枚上手だったかも知れませんね。

勝敗は時の運という要素もあるので、何とも言えないでしょう。

しかし、劉繇の元に許劭がいても勝てないわけですから、許劭の言う事が全てではないと私は考えています。

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許劭の言葉を劉繇が気にした理由

劉繇が許劭の言葉を気にした理由ですが、占いなどを信じていたからでしょう。

さらに、春秋左氏伝などを読んでみると、占いに反して戦い破れたりした人も出てきます。

そのため、「許劭の言う事を聞かずに太史慈を使って破れたら笑いものだ」と考えたのでしょう

実際に、許劭の言葉を劉繇は気にしていた記録が残っています。

ただし、許劭自身の人物鑑定は気に入った人材には、徹底的に評価しますが、評価しない人には徹底的に酷評したようです。

それが一部の人には、心に打たれるものがあり有名になったのでしょう。

太史慈は、酷評されてしまった可哀そうな部類に入ります。

何もしていないのに、嫌われてしまった可能性もあるでしょう・・・。

しかし、太史慈は劉繇には重用されませんでしたが、孫策には重用されてよかったと感じています。

あと、許劭は太史慈の上奏文破り捨て事件などを知っていたのかも知れません。

 

関連記事:太史慈【初めてのお遣い】相手をペテンに掛けての勝利w

 

個人的な事になるのですが、自分は許劭みたいな批評家は余り好きではありません汗

褒めてくれればいいかも知れませんが、俺の場合は酷評される事は目に見えている気がしますのでw

結果が出た途端に、許劭に首を絞めてしまう可能性もありますw

 

追記

しかし、許劭は太史慈には反対しましたが、笮融に関してはあれこれ言っていません。

笮融は、仏教徒に目を付けて寺院まで建てたりしていますが、広陵においては略奪の限りを尽くしたと史書にあります。

さらに、後の笮融の行動を見る限り、とても飼いならせるものではありません。

 

関連記事:笮融は悪人だけど、仏教保護者でもある!破壊坊主説ありw

 

しかし、許劭は太史慈は批判しても、笮融は批判していません。

劉繇は太史慈を用いる事を許劭を気にして実行しなかった経緯があります。

普通に考えれば、笮融のような 掠奪も平気で出来る様な人を用いたら笑われないか気にするべきでしょう。

劉繇を許劭が惑わしたとも考えられるのです。

ちなみに、笮融は後に劉繇に対して反旗を翻しています。

許劭はせめて、笮融に「反骨の相」があると言って欲しかったんですけどね。

 

 

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