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三国志

太史慈が圧倒的な武勇で孔融を救う

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太史慈は、はじめてのお遣いに、ペテンという技を使い見事に勝利しましたw

それが前回の記事でした。

ちなみに、この話は三国志の正史にも載っている話です。

関連記事:太史慈【初めてのお遣い】相手をペテンに掛けての勝利w

しかし、州の役人に恨まれてしまい郡の役人としての職を手放さなければならなくなります。

母を故郷に残していましたが、北海郡の相である孔融が面倒を見てくれています。

 

 

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太史慈・故郷に帰る

太史慈は、故郷にいられなくなり逃亡したのですが、何を思ったのか突然、家に帰ってきました。

しかし、太史慈の母親は不機嫌そのものです。

太史慈が不機嫌の訳を聞くと、留守の間に孔融が世話をしてくれたこと。

その孔融が黄巾の乱の残党に城を囲まれて苦戦していると言うのです。

これを聞き、太史慈は孔融を助けるために、援軍として行きます。

もちろん、太史慈はプー太郎?のような状態だったらしく、自分一人で援軍に向かったわけですw

 

優柔不断の孔融

太史慈は孔融を助けに行くと、黄巾賊の包囲は緩かったせいか、やすやすと城内に入る事が出来ました。

それか、太史慈の事ですから、黄色の布でも用意しておいて、頭に巻いて包囲を掻い潜ったのかも知れませんw

そして、城に入城すると、孔融は太史慈に一目置いていただけあり、大いに喜んだとされています。

太史慈は、包囲が緩いから夜襲を掛けて、敵の不意を突き全滅させようと進言します。

しかし、孔融は首を縦に振りません。

孔融は武人ではないので、戦場に突っ込んで行くような事はやりたく無かった可能性もあります。

そして、何もせずに日数だけが立ち、日増しに黄巾賊の包囲が厳重になっていきます。

こうなると、孔融も「援軍を呼ぼう」となるわけです。

太史慈にして見れば、「包囲が厳重になる前に言ってくれ!」という所だったのかも知れませんw

平原国の相である劉備に援軍を依頼する事になりました。

しかし、黄巾賊の包囲を破らなければいけません。

 

 

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太史慈・敵の虚を突き包囲網を破る

劉備に誰が援軍を頼みに行くか人選が行われますが、立候補する人が太史慈しかいませんでした。

そこで、太史慈が黄巾賊の包囲網を破りに行く事になります。

しかし、敵の包囲網は完成していて破るのは至難の業となっている状態です。

そこで、太史慈は奇策を用いる事にします。

毎朝、3騎で城から外に出ます。

そして、的を部下に持たせて、弓矢の練習をします。

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ちなみに、太史慈は弓矢の名手で100発100中の腕前だったそうです。

黄巾賊も最初のうちは、警戒していましたが、毎日、見ていると段々と油断してきます。

太史慈は黄巾賊が油断したところを見定めると、馬にまたがりあっという間に、敵陣を駆け抜けて包囲網を突き破りました。

もちろん、黄巾賊は呆気に取られますが、もちろん、我に返り太史慈を討とうとします。

しかし、太史慈は馬を見事に操り、得意の弓で敵を倒したのでしょう。

これにより、包囲網を抜けて劉備の元までたどり付きます。

そこで、劉備は太史慈に3000の兵士を与えています。

3000の兵で太史慈が帰還すると、黄巾賊は1戦もせずに退却しました。

これにより、太史慈は見事に任務を達成したわけです。

ちなみに、劉備に会った時は、前回のお遣いの時と違い、詐術を使わずに任務を全うしたようですw

 

関連記事:太史慈【初めてのお遣い】相手をペテンに掛けての勝利w

 

太史慈の武勇は凄いと思う

この時の太史慈の武勇ですが、凄まじいと感じました。

敵がいくら油断していたと言えども、敵陣に一騎で突っ込んで行き、敵をなぎ倒し包囲網を抜けたわけです。

普通の武将であれば、こんな事は出来ないでしょう。

さらに、追手もあったと思いますし、それを振り切れるのは、馬さばきも常人を超えたレベルだったのが分かります。

このエピソードは、太史慈の圧倒的な武力を指すような出来事だと言えるでしょう。

 

太史慈が孔融に仕えなかった理由

太史慈は孔融を救った後は、故郷に戻っています。

もちろん、故郷に母親を残していたわけですが、孔融に使える事はしませんでした。

なぜ、孔融に使えなかったかですが、資料が残っていないので分かりません。

しかし、孔融は鄭玄などを推挙したりの実績はありますが、どちらかと言えば学者肌で仕えにくい人だったからではないでしょうか?

さらに、変わった人材を好み、実力者を排除したともあります。

太史慈を気に入ったのも、ペテン事件を知ってたからですし、変わった人が好きなのでしょう。

さらに、黄巾賊に囲まれた時の対応などを見て、太史慈も使える気がなくなったのかも知れません。

後に袁譚(袁紹の息子)に攻められた時は、戦わずに逃亡をしていますし、曹操の下では批判を繰り返したために処刑されています。

このように性格上に難点があったため、太史慈も仕える気が無くなったのでしょう。

 

 

太史慈を見習おう!

太史慈のやり方を見ていると、敵を油断させたりシーンによって上手く対応している事が分かります。

ペテン事件などは、褒められる事ではないのですが、正直すぎて馬鹿を見てしまうような人(俺かなw)は特に太史慈を見ならった方がよいでしょう。

敵を油断させる事なども大事だと思います。

ただし、私には使わないでくださいねw

 

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