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趙奢の実績をまとめてみました。
史記には載っていない記事も戦国策などから採用してあります。
分かっているだけ、完全網羅してみました。
平たく言えば、自分の書いた記事のまとめなんですけどねw
目次
平原君に推挙される
趙奢は、地方の税務官だったようですが、法律に反した平原君の部下9人を斬ってしまいます。
平原君は激怒して趙奢を呼び寄せるわけですが、趙奢の話を聞く耳は持っていました。
趙奢のいう事が余りにも正論だったために、処罰するどころか自分の家臣の非を認めて恵文王(趙王)に推挙します。
ここでも、公平な税の取り立てを行ったため、国民には喜ばれ、国庫も充実しました。
平原君がなぜ、趙奢を自分の食客にしなかったのか?なども考えてみました。
尚、平原君は戦国四君にも数えられていて、3000人を超える食客を集めた事でも有名です。
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趙奢が大抜擢されて将軍となる
秦に閼与が攻められます。
救援に行くかどうかで、趙の宮廷は揉めました。
名将である「廉頗」や将軍「楽乗」などは、救援は難しいと言います。
しかし、税務長官の趙奢は勝ち目があると言います。
そこで、恵文王は趙奢を大抜擢して将軍に任命し援軍を出す事にしました。
趙奢の将軍デビューです。
尚、この大抜擢が後の長平の戦いで敗北を招くという話もあります。
その辺りも含めて記載しました。
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趙奢が部下を斬り捨てる
趙奢は軍事に関して自分に意見する者は斬り捨てると厳命を出します。
そして、防御ばかりを固めて動こうとはしませんでした。
「すぐに閼与を救援するべきだ」と進言した部下は即座に首を斬られています。
動かない趙奢の狙いと胡傷(秦将)との駆け引きが面白いところです。
尚、趙奢の人心掌握術についても書いてみました。
関連記事:趙奢・自分に意見する部下を斬り捨てる【閼与の戦い2】
趙奢が高地を占拠して勝利を手繰り寄せる
趙奢は自分に意見した者は斬り捨てると御触れを出しましたが、許歴が意見した時は斬り捨てる事はしませんでした。
さらに、許歴の進言に従い陣形を変え、戦略を採用する事で勝利を収めます。
北山を取る事で勝利を決める事が出来ました。
そして、馬服君に任命され、廉頗や藺相如と位が同じとなります。
ここにおいて、キングダムで言うところの旧三大天が揃ったわけです。
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関連記事:趙奢・許歴の意見を聞き高地を占拠する【閼与の戦い3】
馬謖は山を取り敗北したのと、趙奢が山を取り勝利したケースの違い
三国志で馬謖は街亭の戦いで山の上の布陣してしまった為に、魏軍の張郃に敗れています。
それに対して、趙奢は山を取る事で勝利を決定付けました。
馬謖と趙奢の違いについて解説してみます。
戦いは山を取れば勝ちでは無い事がわかります。
趙奢が田単を論破する
田単は斉を復興させた名将ですが、趙に移り宰相となりました。
その時に、田単が趙奢のやり方について意見した逸話が残っています。
趙奢の理論的な考え方に田単が論破された形になりました。
ただし、趙奢の考えに田単が完全に納得出来たのかは不明な部分もあります。
田単は人が良さそうな所もあるので、自分の非を認めるだけで意見しなかったのかな?とも感じています。
趙奢の子孫はどうなったのか?
趙奢の子である趙括は、長平の戦いで白起に敗れて死亡しました。
しかし、趙奢の妻が趙括が失敗しても一族には罪を問わない約束をしていたので、一族は罰せられませんでした。
その後、趙という氏を【馬服君】の馬に変えています。
後漢初期に活躍した馬援や三国志で有名な馬騰、馬超などは趙奢の子孫です。
趙奢の子孫がどのようになったのかを解説します。
ちなみに、皇帝の后になった人物もいて、名門の仲間入りをしたりもしています。
趙括のお話
趙奢は趙括とセットで語られる事が多いです。
そのため、趙奢を知るには趙括も知っておくことが大事だと考えています。
趙括の性格に関しての分析や長平の戦いでの敗北の理由など、書いてみました。
関連記事:趙奢が息子・趙括に論破された話!二人の違いも検証しました
関連記事:プライドが高すぎると酷評に耐え切れず敗北する【馬謖、子玉、趙括】
趙奢は好きな武将です
個人的な話なのですが、自分は趙奢は好きな武将です。
部下を即座を斬ったり、大事におもてなしをしたりするツンデレ具合もいいと思いましたw
廉頗に比べると陰が薄い気がしますが、間違いなく名将でしょう。
閼与の戦いでは、廉頗でさえ救援不可能と考えたにも関わらず、勝利してしまうのは流石だと思っています。
恵文王の大抜擢によく答えたのではないでしょうか?
尚、史記では廉頗・藺相如列伝の中に、閼与の戦いは収録されていて詳しいです。
キングダムでも、趙奢と胡傷の戦いは出てきそうですね。
趙国・三大天趙奢と秦6大将軍胡傷がどのように描かれるのかは楽しみです。