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前回までの趙奢は守備を固めてばかりで動こうとしませんでした。
さらに、自分の部下には「意見する者は斬る」と命令を出し、意見した部下を本当に斬り捨てています。
しかし、胡傷が軍を閼与に向けた事でようやく趙奢も動き出します。
前回の記事:趙奢・自分に意見する部下を斬り捨てる【閼与の戦い2】
胡傷が軍を移動して道を開けてくれたので、閼与付近まで行ける事になったわけです。
ちなみに、この時の趙軍は強行軍だったようで、あっという間の速さで閼与まで移動しています。
甲を巻いて走ったという記述まであります。
閼与付近に到着すると、趙奢は陣を構えて戦闘準備に入ります。
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秦軍が趙軍に攻撃を掛ける
胡傷の方も趙軍が近づいている事に気が付きます。
しかし、胡傷の方は、趙の主力が閼与に来ているとは思わなかったようです。
そのため、「潰せ」と気楽に、趙軍に攻撃命令を出しました。
胡傷は、趙の軍が少数だと見積もったためです。
地形からなのか、趙軍の方は敵から少数に見えるように陣形も組んでいたようです。
秦の精鋭が趙奢に攻めかかってきます。
許歴が趙奢に意見する
秦軍が迫ってくる事が分かると、趙奢の部下である許歴が軍営に訪れて意見をしたいと言ってきます。
意見した者は、死罪という命令を知っていながらも趙奢に意見したわけです。
許歴「申し上げたい事があります」
許歴「秦の兵は、わが軍が残らずここに移動したとは思っていません。勢いよく攻めて来る事は確実です。将軍においては、陣を分散させずに、厚い陣で応戦しなければ、必ず敗れます」
つまり、趙奢の今の陣形では、主力部隊を隠している事が逆効果になっていると指摘したのです。
趙奢は、苦笑いした事でしょう。
趙奢「先の約束を守ってもらおう」
許歴「処刑場に送って頂きたい」
趙奢「後の命令を待て」
ここで趙奢は、許歴を斬ろうとはしませんでした。
さらに、許歴の言ったとおりに、陣形を厚く構えて秦軍を待ち構えます。
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北山取りが勝敗を分ける
秦軍は、攻めかかりますが、重厚な陣を敷いている趙軍を崩す事が出来ません。
すると、許歴が再び趙奢のいる本営を訪れます。
許歴「北山を取ったものが勝ち、取れなかった者が敗れます」
趙奢「その通りだ」
ここで、趙奢は1万の兵士を割いて北山に向かわせました。
胡傷も北山の重要性に気が付き、部下に北山に向かわせます。
しかし、趙軍の方が早く到達して、秦軍は北山に登ることが出来ません。
中腹で趙軍と秦軍は激突しますが、高地を占拠している趙奢の軍に秦軍は破れます。
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これにより、趙軍に攻撃している秦軍も退路を閉じられて孤立する可能性が出てきました。
胡傷は仕方がなく、退却命令を出します。
秦の法律だと、胡傷が捕まれば胡傷の妻子は殺されてしまうので、必死に逃げたのでしょう。
そして、趙奢は逃げる秦軍を追撃して大勝利を収めます。
これにより、閼与の包囲も解かれて趙奢は凱旋しました。
北山取りが勝敗の分かれ目になったわけです。
趙奢が活躍したと言うよりも、許歴が活躍したようにも見えますが、結果を見れば趙軍が秦軍を圧倒し勝利しました。
趙に三大天が揃う
趙奢が閼与を救った事で、趙の恵文王は趙奢を上卿に任じます。
これにより、趙奢は廉頗・藺相如と位が同じとなりました。
つまり、趙国・三大天が誕生したわけです。
そして、戦術眼のある許歴も国尉に任命され出世する事になりました。
さらに、この時代の趙は燕の名将楽毅や、斉を復興させた田単も趙に移った記述があります。
恵文王の頃の趙は廉頗、藺相如、趙奢、楽毅、田単と名将が揃っているわけです。
三国志の時代に、蜀の五虎大将軍と言うのがありましたが、この5人であれば趙の五虎将軍でも良い気がします。
あ・・藺相如は文官だったか・・・。
1回だけ戦った記録があるんですけどねw
関連記事:藺相如の【武】堯雲・趙峩龍と今後の予想
李牧以前の趙になりますが、この頃が人材で言えば趙のピークと言えそうです。
趙奢が許歴を斬らなかった理由
趙奢は最初に「自分に意見する者は斬る」と宣言していました。
実際に、意見した部下を斬り捨てているのです。
しかし、許歴が意見した時は、斬ってはいませんし、戦いが終われば出世させています。
許歴を斬らなかった理由ですが、「意見がまともだったから」斬らなかったのだと思います。
自分の考えよりも、さらに上を行っていたので、斬らなかったのかも知れません
あと、趙奢はこれが初の総大将だったようで、戦いになれていない部分もあったのでしょう。
それを許歴が見事にフォローした感じですね。
趙奢と許歴はいいコンビだったと思います。
尚、史実での許歴の実績は、趙奢との閼与の戦い意外には出てきません。
そのため、史実だと閼与の戦いが終わると、すぐに亡くなってしまった可能性もあるでしょう。
許歴の活躍がこれしか無いのが、残念なところです。
百戦奇略にも掲載されている戦い
後の世に百戦奇略という書物が書かれています。
百戦奇略は、「進戦」「退戦」「賞戦」「罰戦」などの対になっている戦いの実例が掲載されている兵法書のようなものです。
そこの、山戦だったか高戦だったか忘れてしまいましたが、閼与の戦いの記述があります。
内容は史記よりも簡略に書いてあった気がしましたが、おもしろい書物です。
史実では、廉頗が戦場で功績を挙げているのに、戦いの例がないのに対して、趙奢は「閼与の戦い」のみですが、内容が分かっていてよかったと思いました。
今回のまとめ
今回のまとめになりますが、部下の良い意見は聞く耳を持ちましょうという事です。
世の中には、まともな部下の意見であっても、聞かない上司は多い事でしょう。
まともなだけに、部下の方はやる気を無くしたりしてしまうわけです。
私も人の言う事は、かなり聞かない部分があるので気を付けたいところです(汗