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趙奢は恵文王の大抜擢により将軍に任命されました。
前回のお話:趙奢が大抜擢され将軍となる【閼與の戦い1】
しかし、趙奢は大抜擢だっただけに、部下の信任が全くない状態です。
会社で例えると、昨日まで別の部署だった人が、突然やってきて部長に任命されたようなものです。
ここを趙奢がどうやって乗り切るかは勉強になります。
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自分に意見する者は斬ると御触れを出す
趙奢は、軍を率いて邯鄲を出撃すると、30里行った場所で陣を構えだします。
ようは進軍をやめて防御の体制を取り始めたわけです。
さらに、軍中にお触れを出して「自分に意見する死罪と致す」という命令まで出しています。
ちなみに、この命令は本気で後に、趙奢に意見した者は首を刎ねられています。
胡傷の戦略
敵将である秦の6大将軍胡傷は、閼与に一部の兵を残して、残りの兵は趙奢を迎撃する構えを取ります。
つまり、胡傷は後詰決戦(援軍を叩く事)を選択したわけです。
そして、武安の西に陣を構えて予定戦場を決めます。
趙軍が来るのを待って戦う作戦です
しかし、趙奢は邯鄲を出発してすぐの場所に陣を構えて動かなかったために、予定戦場に趙奢が現れません。
胡傷としては待ちぼうけ状態となります。
趙奢がいつになっても戦場に現れないので、閼与の城の付近で銅鑼を鳴らしたりして、攻撃をする素振りを見せます。
これで、趙奢が動けば迎撃する構えです。
趙奢が部下を斬り捨てる
趙奢は、胡傷に偵察部隊を入れていました。
斥候(偵察)が帰ってくると、「急ぎ救援に向かうべきです」と進言します。
しかし、趙奢は「先の約束を守ってもらおう」と言い、すぐに報告した者を斬り捨てました。
さらに、守りを固めて塁営(防御陣地)から出ようとしません。
趙奢は援軍に行くはずなのに、28日間も留まり1人の兵士も援軍に出しませんでした。
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胡傷が動く
趙奢が全然動かないので、胡傷は不思議に思います。
そして、趙の陣地の情報を探らせるために、間者を入れます。
間者は無事に塁営に入ったわけですが、趙軍に見つかってしまいました
趙奢は部下に「捕らえるな!篤くもてなしで返せ!」と命令します。
趙奢の狙いが分かっている人は、趙軍にはいないので、間者はよく観察して救援に向かう事はないと判断し胡傷に報告します。
胡傷は「趙奢の軍は閼与の救援ではなく、邯鄲の防御のための軍である」と判断します。
そして、胡傷は趙奢への警戒を解き全兵力で閼与の城を落としに行きます。
しかし、これと同時に趙奢が動きました。
ここで、趙奢の人心掌握術について思った事があるので、物語から外れます。
趙奢の人心掌握術
趙奢ですが、いきなり総大将に大抜擢された事で兵士たちは不安に思った事でしょう。
自分たちの大将が税務長官で、戦の経験も皆無な人だったからです。
ここで、趙奢は威を見せる意味も込めて、「自分に意見する者は斬る」と言ったのでしょう。
将軍として部下の兵士に舐められては困るので、厳しく接したように思います。
しかし、趙奢というのは厳しいばかりの人ではありません。
後に、趙奢の妻の言葉で「酒の席では部下にお酌をしたり、王様から頂いた物は全て部下に分け与えていた」という言葉があります。
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これは信賞必罰が徹底しているとも思えますが、将軍になった頃は、部下にいう事を聞かせるために、厳しく接しておいて、自分が功績を上げて将軍として認められてからは、部下に対してへりくだり良い上司を演じていたのだと思われます。
立場によって態度を上手に変化させていた事を指すはずです。
部下が自分をどう見ているかや、部下の心を察知するのが得意だったのでしょう。
将軍という者は、作戦だけではなく、兵士の心を読む事も大事だと思いました。
会社などであっても、部下がいる人は考えさせられる事ではないでしょうか?
いかん、偉そうな事を書いてしまった・・・・w
次の記事:趙奢・許歴の意見を聞き高地を占拠する【閼与の戦い3】