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趙奢は、平原君に推挙されて国庫の預かる税務官となりました。
しかし、紀元前270年に秦が趙を攻撃します。
この戦いが閼與の戦いに発展するわけですが、書物によって韓の援軍として閼與で趙が戦ったとする説と秦が趙を攻めて閼與の戦いが起きた説があります。
どちらが正しいのかは分かりませんが、韓軍の活躍が全くない所をみると、秦が趙に攻め込んだというのが正しいのかも知れません。
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閼与の救援が困難との見方が出る
秦は、突如として趙を攻めて閼与を包囲します。
閼与は趙の首都である邯鄲とそれほど、遠くもないので、かなり深々と秦軍に攻められた事になります。
首都の近くに、秦の拠点が出来るのは、趙の恵文王としてはいい気はしません。
趙の宮廷では、救援を出すべきかどうか議論がなされました。
恵文王が廉頗に意見を求めました。
廉頗「閼与までの道は険しく救援は困難でしょう」
このように廉頗らしからぬ回答が返ってきます。
もう一人の将軍である楽乗(楽毅の親戚)に問うと、同じ答えが返ってきました。
廉頗の考えとしては、一時的に閼与が奪われても、秦の領土からは飛び地となり簡単に奪還出来ると考えたのかも知れません。
この時期は、秦の魏冄が宰相をやっていて、范雎の遠交近攻策が取られていないわけです。
※遠交近攻・・近くの国を攻めて遠くの国と同盟を結ぶ政策
そのため一時的に、閼与が奪われても奪還で出来る自信があった可能性もあります。
しかし、歴戦の勇者である廉頗や将軍である楽乗は救援に関して、否定的な考え方だったようです。
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趙奢が初陣で将軍に任命される
恵文王は何を思ったのか税務長官の趙奢に意見を求めます。
趙奢は、次の様に答えます
趙奢「閼与への道は狭くて険しいです。例えてみるのであれば、2匹のネズミが穴の中で戦うようなものです。将が勇猛な方が勝ちましょう」
歴戦の勇者であり実績のある廉頗将軍が、閼与への救援に否定的な考え方をしているのに、税務長官である趙奢が勝てる見込みがあると言うのです。
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この時に、何を思ったのか恵文王は趙奢を将軍として起用する事を決定します。
戦いの専門家である廉頗が難しいと言っているのに、総大将をした事もない趙奢が将軍になってしまったわけです。
普通で考えれば【負けて当たり前】のような戦いですよね。
しかし、この戦いが趙奢に取って名将といわれる所以となった戦いです。
尚、趙奢の言葉を考えると、下記のような感じを戦場を考えていたのかも知れません。
(手書きの下手な図ですみません)
これだと確かに、兵隊が強かったり勇猛な方が勝ちそうですよね
ちなみに、閼与を攻めていた将軍は、キングダムでいう所の秦の6大将軍である胡傷です。
キングダムでは、軍師系の男だとされています。
尚、藺相如が出てこないのは、前年に斉の平邑を攻めた記録があるので、まだ邯鄲に戻ってなかった可能性もあります。
関連記事:藺相如の【武】堯雲・趙峩龍と今後の予想
趙奢の大抜擢が長平の戦いの敗因を呼ぶのか?
恵文王の時代ですが、趙奢が突然、将軍に抜擢されたり、藺相如が秦との外交官として突然デビューしたりと、大抜擢がありました。
これを恵文王の子である孝成王も見ていたのか、孝成王の時代になると趙奢の息子である趙括を大抜擢するのですが、ここでは大失敗に終わっています。
趙括をフォローするのであれば、初陣がいきなり白起将軍では勝ち目はないでしょう。
大抜擢というのは、良い時もあるが悪い時もあると言う事です。
やはり、慎重に行くのであれば、最初から将軍に大抜擢せずに、副将でも兵糧係でもいいので経験を積ませてから将軍に任命するのが王道でしょう。
それを考えると、キングダムの李信、蒙恬、王賁のように1000人将、3000人将、5000人将、みたいな感じでランクアップする仕組みは優れていると思いました。
趙という国は、大抜擢の風潮があるのかも知れませんね。
しかし、大抜擢というのは、抜擢する人の眼力がかなりいるはずです。
それを考えると、趙の恵文王の眼力は凄いと思いました。
続きの記事:趙奢・自分に意見する部下を斬り捨てる【閼与の戦い2】