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趙の旧三大天と言えば、廉頗、藺相如、趙奢を指しますが、廉頗・藺相如に比べると趙奢は影が薄くも感じます。
しかし、趙奢は閼与の戦いで秦軍を破る武功を挙げていますし、長平の戦いでは、息子である趙括の敗北を予言しています。
今回は、趙奢が出世するきっかけになった平原君との経緯を紹介します。
尚、平原君は趙の武霊王の子であり、兄は恵文王です。
藺相如や趙奢と違って、最初から貴族でした。
戦国四君にも数えられて、食客を3000人集めた事でも有名です。
ただし、平原君は戦国四君の中では、最も雑魚扱いされる事が多いですw
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目次
平原君の部下9人を趙奢が斬る
史記によると平原君は、恵文王と孝成王の時代に、宰相を去った事が3度あり返り咲いた事も3度あったと記載があります。
これから考えると、平原君は普段は趙の都である邯鄲にいて、領地は部下に代理で治めさせていたのではないかと思われます。
ある日、平原君の元に信じられないような報告が届きます。
自分の部下9人が【田部の吏】である趙奢に斬られたという報告です。
田部の吏というのは、土地の税収官の事で、税金を平原君から取ろうとしたわけです。
しかし、平原君は趙の宰相で権力があったために、部下の方も調子に乗っていたのでしょう。
平原君の権力を傘に部下は私腹を肥やそうと思ったのか、平原君の財産を増やすために税金を取られるのを拒んだわけです。
これを趙奢は、趙の法律に反しているといい、平原君の部下9人を殺してしまいました。
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平原君・激怒し趙奢と面会する
平原君は自分の部下が9人も切られてしまい激怒したようです。
もちろん、平原君は趙奢を自分の元に連行するように命令を出します。
趙奢は、平原君の前に引き出されます。
平原君「家臣を9人も斬るとは如何なることか(激怒)」
趙奢「その9人は税を拒みましたので、法律に従って斬ったまでです。法律が適用されないと国は弱くなりますし、国が弱くなれば平原君様も領地を保つことが出来ません」
趙奢「平原君のような尊貴な方が法律をちゃんと守っていれば国は強く堅固となります。趙が他国に軽んじられる事もありません」
このように平原君の前で、持論を堂々と言い放ったわけです。
平原君の方は激怒しているようでも、演技だったのかちゃんと耳は澄ませていたようで、趙奢が賢者だと悟りました。
そして、処罰はせずに帰しました。
平原君が恵文王に推挙する
平原君は手荒なことをせずに、趙奢を返しただけではなく、兄である恵文王に推挙しました。
そして、恵文王も趙奢を気に入り国税を司る役職を与える事にしました。
趙奢のやり方は公平性があり国家の財政は豊かになり国庫が充実したと記録が残っています。
平原君がいなければ趙奢は活躍の場が限られていたと思われます。
藺相如が繆賢に推挙されて高位に就くきっかけになったように、趙奢の場合は平原君がきっかけを作ってくれました。
後に趙奢は税務官としてだけではなく、無敵と呼ばれて秦軍を破る活躍をします。
キングダムでいう所の6大将軍である胡傷を破る事になります。
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平原君はなぜ趙奢を自分の食客にしなかったのか?
平原君といえば戦国四君の一人でもありますし、食客を3000人も集めた事で有名です。
しかし、趙奢の時は自分の食客にしようと思いませんでした。
これは何故だろう?と疑問に思ったわけです。
いくつか説を考えてみました。
お小遣いが減る
趙奢は平原君であっても堂々と意見を言ってきます。
間違っていると思えば、容赦なく諫言してくるでしょう。
これが何を指すかと言えば、【お小遣いが減る】という事です。
無駄使いをしようとすれば、容赦なく趙奢に諫言されてしまいますw
実際に、平原君は妾なども多かったようなので、彼女たちをリストラされてしまう可能性もあるでしょう。
優秀だと認めるけど、自分の家来や食客にいたら厄介な奴だと思って、兄の恵文王に押し付けた?説です。
実際に、漢の時代の袁盎などは容赦なく意見をするので、文帝は斉王に押し付けていますw
間違ったことを言っているわけではなく正論を堂々と発言するので、側近になってしまうと息苦しいと思い恵文王に押し付けた説です。
恵文王の忍耐強さも弟だけに分かっていたのかも知れませんw
自分よりも賢すぎる
これは考えにくいと思いますが、自分よりも賢すぎてしまうと扱いにくい所もあるはずです。
さらに、趙奢は公平な人でもあるので人望もあります。
そのため食客が自分を見捨てて趙奢の元に集まってしまう事を恐れた可能性があります。
後年になりますが、信陵君が邯鄲を救い趙に留まった時は、平原君の食客の半分が信陵君に移った事もあります。
自分よりも優秀だと感じたので、食客に置かなかった可能性もあります。
ただし、恵文王に推挙してしまうと、今度は宰相の位を奪われてしまう可能性もあるため、この説は考えにくいと感じました。
趙奢のためを思った
平原君の思いやりで恵文王に推挙した話です。
自分の食客としてよりも、恵文王の直属の家来になった方が本人も活躍出来ると考えたのかも知れません。
趙奢のためを思って、恵文王に推薦したわけです。
尚、平原君は失敗も多い気がしますが、身分に捉われず色々な人の意見を傾ける耳を持っています。
邯鄲が包囲した時も李同や毛遂の考えを採用しています。
凡庸に思っている人も多いようですが、聞く耳は持っている人だなとは感じています。
趙奢が国のために役立つと思った事は間違いありません。
趙奢が推挙された話のまとめ
趙奢は平原君によって推挙されました。
権力者であっても自分の意見をはっきりと言った事が推挙に繋がったのでしょう。
しかし、誰にでも自分の意見をはっきり言ったのでは、左遷されたりした可能性もあります。
平原君が聞く耳を持っている事が分かっていたのかも知れません。
趙の他の貴族の家来を9人も斬ってしまったら斬首されていた可能性もありますw
文章にすると簡単に聞こえるかも知れませんが、一か八かの行動でもあったような気がするんです
趙奢の命がけの行為は、武将としての才能を感じずにはいられません。
度胸がある事は間違いないでしょう。
尚、武霊王の時代と比べると勢力範囲は広がっていないように思いますが、趙の恵文王の時代には優れた人物が数多くいます。