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三国志・キングダム「春秋戦国時代」と史実と考察の歴史書

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藺相如の死とその役割とは

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キングダムでは幻の三大天として、藺相如が登場します。

キングダムでは「絶頂の時に、そのまま病の伏し、そのまま絶命した」と書いてあります。

※キングダム・第541話「預言の地」参照

今回は史実を元に藺相如の死と、藺相如の役割のお話です。

 

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藺相如の死はいつ?

藺相如の死ですが、記録として残っていません。

残念ながら、史実の藺相如の最後は、残っている記録がないのです。

尚、藺相如の最後の記録が、長平の戦いの時に、廉頗を更迭して趙括を大将とした時に反対した事です。

この時の藺相如は重病だったようで、重病を押して孝成王に面会を求めた説と書面を奉った説に分かれています。

しかし、重病だった事には変わりがありません。

藺相如「趙括は、父親の残した兵法書を丸暗記しているだけで、臨機応変という言葉を知りません。これでは戦いに勝つ事は出来ません」

藺相如「再考をお願い出来ませぬでしょうか」

孝成王「もう決めた事じゃ。再考しようとは思わぬ」

そして、藺相如は引き下がったのですが、これが史実での藺相如の最後の記録です。

多くの専門家も長平の戦いの最中か負けた直後辺りに藺相如は死亡したと考える人が多いです。

私も史書に登場しなくなると言う事は、長平の戦いの最中に病死したと考えています。

 

 

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キングダムでの藺相如の最後

キングダムでの藺相如は幻の三大天という扱いになっています。

「三大天・藺相如は実力が絶頂の時に突然、病に伏しそのまま絶命した」という言葉もあります。

これが長平の戦いの時を指すのかが分かりません。

それか、藺相如は死亡した月日がはっきりしないので、作者にとってみれば都合がいいのかも知れませんね。

尚、三大天というと武力に秀でているイメージがあるかも知れませんが、藺相如は史実を見ると1回しか戦った事になっていません。

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紀元前271年に斉の平邑まで攻め込み引き返したという記述があるだけです。

私は、キングダムでは、長平の戦いでの藺相如を考慮せずに、斉の平邑まで攻め込んだが、藺相如が病死して引き返した事にしたのかな?とも考えました。

しかし、堯雲の「慟哭は邯鄲中の人間が聞いたという」という記述があったので、キングダムでも藺相如は趙の都である邯鄲で亡くなったようです。

斉の平邑まで侵攻したという大戦果を挙げたけど邯鄲に戻って突然亡くなった設定のするのかも知れません

それであれば、幻の三大天になるようにも感じます。

藺相如の配下だった、堯雲と趙峩龍の活躍に期待したいところです。

 

藺相如の役割

藺相如の残っているエピソードは、和氏の璧と黽池の会で趙の恵文王を補佐した事。

長平の戦いで廉頗解任を阻止しようとした事。斉の平邑まで攻め込み引き返した事。くらいしか分かっていません。

藺相如は文官として活躍したために、大した話が残っていないのでしょう。

しかし、廉頗将軍が戦争に行っている時は、宮廷をまとめて廉頗将軍が不利にならないように計らったりしていたと思われます。

 

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この時代に限らず、王に讒言する人がいて将軍が更迭されたり、殺されたりした事件も少なくありません。

そういうのを防止していたのも、藺相如の役目だったと思われます。

あと、秦に対して戦争をしないように、配慮していたのではないかと思われます。

黽池の会以降は、8年間ほど秦と趙は戦いをしませんでした。

次に秦と趙は閼与の戦いで、趙奢が胡傷を破ります。

しかし、前年に藺相如は斉の平邑に遠征に行っていましたので宮廷にはいなかった可能性があります。

藺相如が宮廷を開けた事で、秦との戦争になった可能性もあります。

藺相如は反秦派を抑制する効果があったようにも思えるわけです。

実際に、藺相如が元気だったうちは、秦と趙はほとんど戦争をしていません。

秦はもっぱら韓・楚・魏と戦争を行っています。

藺相如が秦と戦争になる抑止力を果たしていた可能性は高いでしょう。

 

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