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廉頗が藺相如に謝罪し刎頸の交わりを結ぶ

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宦官繆賢の家来だった藺相如は、和氏の璧・黽池の会と2度に渡り外交で功績を挙げました。

難解な2度の外交により趙・恵文王の信頼を勝ち取り上卿に出世しました。

 

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さらに、趙の名将・廉頗よりも位を上にしました。

廉頗としてみれば、それが面白くありません。

藺相如に対して、妬みの感情を抱いてしまい、事あるごとに藺相如の妬みを周囲にぶちまけます。

 

 

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廉頗はなぜ藺相如を妬むのか?

廉頗は、野戦・攻城などにおいて、数々の功績を上げています。

もちろん、戦いの場所に行くので、命がけでやっているわけです。

しかし、藺相如の場合は、外交で出世したわけですから、口先だけで出世したと思ってしまったのでしょう。

和氏の璧の話しや黽池の会での藺相如の活躍を目撃していれば、納得していたかも知れませんが、記述などをみると廉頗は国許にいたようです。

さらに、恵文王の寵臣だったのでしょう。それを藺相如に奪われてしまい悔しかったのもあるかも知れません。

宦官の家来だった藺相如に位で抜かれてしまったのが最大の汚辱に感じた可能性もあります。

日本のサラリーマンであっても、似たような事はよく起こるかと思います。

ちなみに、私はサラリーマンもやっていましたが、出世競争では連戦連敗を続けていました\(^o^)/

気にしないけどw

 

 

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廉頗が怒りを周囲にぶつける

廉頗が藺相如の事を嫌いまくり(逆恨み)悪口を言いまくりました。

廉頗「今度、会ったらあいつ(藺相如)を辱めてやる」

廉頗「あのような卑賤な者の下に就くのは俺のプライドが許さん」

この様な事は普通に言っていたようです。

藺相如は、廉頗が悪口を言いまくっている事を知っていても、言い返したりする事はしませんでした。

むしろ、廉頗と会わないように、避けていたようです。

しかも、朝廷に出仕しなければいけない時でさえ、病気だといい休んだそうなので、誰が見ても分かる避け方をしていたのでしょう。

さらに、車で外出した時に、廉頗を見つけた時は、隠れて避けた話もあります。

これを見ると、藺相如の従者たちは、穏やかではありません。

 

藺相如が廉頗から逃げる理由

藺相如の従者たちは、秦での活躍を知って家来のなった人も多かったと思われます。

ついに、家来たちは我慢の限界に達してしまい藺相如に言います。

家来たち「私たちが家を捨ててまでご主人様(藺相如)にお仕えするのは、ご主人さまのご高義をお慕いすれば、こそでございます。」

家来たち「いまご主人様は、廉頗将軍と同列の身でありながら、廉頗将軍を恐れひたすら逃げ回っておられます」

家来たち「普通であれば匹夫でも潔しとしない態度です。しかし、ご主人様は少しも恥じておられぬようです」

家来たち「我々はもう我慢の限界です。お暇を取らして頂きたい」

藺相如の家来たちは、ひたすら逃げ回っているようにしか見えなかった為に我慢の限界に達しました。

ついには、藺相如を見限って家来を辞めると言い出したわけです。

しかし、藺相如は言いました。

藺相如「廉頗将軍と秦王はどちらが手ごわいと思う?」

家来たち「秦王でございます」

藺相如「私は駄馬の如くであろうが、秦王と2度に渡って堂々とやりあった。その私が廉頗将軍を恐れようか」

藺相如「強大な秦が趙を攻めないのは、廉頗将軍と私がいるからなのだ」

藺相如「今、私の廉頗将軍が争ってしまったら、それこそ秦の思うつぼ。私が争いを避けるのは、個人の争いよりも国家を優先したいからだ」

この言葉に家来たちも納得して、今まで通りに藺相如に使える事になりました。

めでたし、めでたしとなるはずですが、この話が外に漏洩してしまったわけです。

この話が廉頗将軍の耳にも入ってしまいました。

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廉頗っていい奴だよな~

廉頗は藺相如の話を聞くと多いに反省します。

ここが廉頗の偉い所だと思いました。

「何あいつカッコつけているんだよ!」とならないところが偉いと思いました。

他にも、こういう事になると「自分をよく見せたいだけ」と斬って捨てたりする人もいるわけです。

そういう中で廉頗の反省する態度は称賛に値するでしょう。

廉頗は、反省しただけではなく知人を通して藺相如に面会を申し上げます。

しかも、上半身は裸でいばらの鞭を背負って現れたと言います。

罪人の格好で、藺相如が現れると土下座した記述があるのです。

上記はキングダムの廉頗将軍ですが、この人が土下座しても怖そうですよねw

廉頗「ここにる卑賤も者(自分の事)は、あなた(藺相如)の深い心も知らずに、愚かな行動を取りました」

廉頗「願わくば、この鞭で心行くまで叩きください」

藺相如「何をおっしゃられますか。廉頗将軍がいるから他国は趙に手出ししないのです。ささ、早く服を着てくだされ」

そして、藺相如はすぐに部下に酒席の準備を命令させました。

廉頗もいい奴だと思いますが、藺相如の態度も立派だと思いました。

廉頗に対して「今ごろ、気が付いたのか愚か者が!」罵声を浴びせなかったのは流石ですw

 

それでも、この人(藺相如)が

この人(廉頗)を

鞭で叩くところも見たかった気もしますが・・・w

 

尚、キングダムの廉頗と言うと戦いの前に、自分の部下たちと抱き合いするのが慣例になっています。

これを藺相如相手にやったのかどうかは定かではありませんw

 

藺相如と刎頸の交わりを結ぶ

藺相如と廉頗は酒を飲みかわし大いに語りあったそうです。

そして、二人ともお互いのためなら、首を刎ねられても悔いはないという刎頸の交わりを結びました。

この二人の結束は固く、廉頗と藺相如が元気なうちは秦も迂闊に手が出せなかったようです。

実際に秦は藺相如が活躍した黽池の会が終わってから8年間は趙を攻めませんでした。

8年後に攻めるわけですが、趙のもう一人の三大天である趙奢が秦の胡傷を閼与の戦いで破りました。

尚、長平の戦いでも廉頗が更迭されそうになると、孝成王に藺相如は更迭を考えなおすために重病にも関わらず宮廷に出かけて行きました。

しかし、残念ながら若くて血気盛んな孝成王は言う事は聞きませんでした。

体調がよい藺相如が出れば、孝成王も気を使う存在で、解任の話し自体がそもそも出なかった可能性もあります。

藺相如の耳に、廉頗が更迭される話が入れば、途端に激怒していた事でしょう。

余談ですが、秦末期に張耳と陳余も刎頸の交わりを結んでいますが、後に大喧嘩してお互いを憎しみあいました。

刎頸の交わりを結んでも、途中で破綻する事もあるようです。

日本ではロッキード事件の時に、小佐野賢治氏が国会の証人喚問で田中角栄氏との関係を問われた時に「刎頸の友」という答え方をしました。

この事で日本でも刎頚の友という言葉が知られるようになりました。

 

 

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